歯にあたる歯があり蓮は枯れにけり 鴇田智哉
自分の身体の中で起きていることと、目の前で起きていることを取り合わせている。まず、「歯にあたる歯があり」だが、これは一見、視覚情報によるものだと思わせる書き方をしている。しかし、実際は触覚(と言えるかどうか微妙だが)情報なのだ。自分の口の中を思ったとき、実際に、歯が他の歯にぶつかっていた。カチカチ。それは、まるで、自分のものではないかのような感覚に陥る。それゆえ、このような無機質なフレーズとなっているのだ。
そして、枯蓮。すこし前まで生きていたものとは思えない、無残さをもつ。
この二つは、それ単体では、生と死をつよく感じさせるものではないが、取り合わされたとき、そこに、生と死を感じる。歯は、確かに人間という生物の一部であり、枯蓮は、生物から突き放された部分である。この、単なる対比関係ではない、自分の身体を通して感じさせる、生と死、は私たちをしばらく立ち止まらせる。