照らされて菌山より戻りきし 鴇田智哉
多分月に照らされれながら<菌山>から戻ってきた情景だろうとまず読む。戻ってきたのは、作者のようにも思えるが、人なのか何かの錯覚かもしれない異次元的謎めきがある。更に何によって照らされたのかは、太陽かも蛍光灯かもしれない、はたまた犯人を連行するときの取材のフラッシュかもしれない、なんともアンニュイ。
アンニュイとは仏語から来ていて、倦怠感のこと。退屈。世紀末的風潮から生まれた一種の病的な気分。文学的には,生活への興味を喪失したことからくる精神的倦怠感をいう。自意識の過剰,生の空虚の自覚,あるいは常識に対する反抗的気分などが含まれる。(ブリタニカ国際大百科事典)
照らされるからには周囲は暗い、後方に陽の光があるが暗い田園、そのかすかな光で人物が浮かび上がるミレーの絵のような風景を想う。<菌山>というだけで謎めく物語の舞台であるし、<照らされて>の措辞による空間の陰影が空虚さを、そして<戻りきし>で悲しみともおかしみともなる。
鴇田氏の作に共通するアンニュイ性は、抽象を具象にする過程に言葉が動き出す感覚をおぼえる。第一句集にて独自性を打ちだし、空虚感漂う世界が確立されている。
鬱イイ気分というのか、その感覚が五七五の短詩定型で起こっているのだから不思議な体験をした気分なのだ。トワイライトゾーンに浮遊する一句である。
(『こゑふたつ』木の山文庫 2005年)