2016年6月21日火曜日

フシギな短詩22[泉紅実]/柳本々々




  カラオケBOXを出るとあんかけの世界  泉紅実


「カラオケBOX」という防音の密室を出ると「世界」は「あんかけ」のようにどろどろになっている。意味やモノの境界が溶け、すべてがいっしょくたになりどろりとした、濃厚であつあつの「世界」に。知覚が密閉したカラオケ空間から出た語り手に訪れたのは知覚がないまぜになり凝固したあんかけ世界だった。

それは、いい。

ここでこの句が「あんかけ」というどろどろの世界を描きながらも、あるひとつの〈あんかけのための文法〉を提示したことに注意してみよう。それは、「カラオケBOXを出ると」という部分規定である。

この「あんかけの世界」は「カラオケBOX」を「出」た〈わたし〉しか知覚できない〈あんかけ世界〉であり、「カラオケBOX」を「出」なかった〈あなた〉とは共有できないものなのである。〈この〉あんかけは「世界」ではあるのだが、その「世界」は共有できないものであるかもしれないのだ。

この〈わたし〉にどれだけホットな〈あんかけ世界〉が訪れたとしても、そのホットなあんかけ世界のかたわらにはクールな〈あんかけ世界〉が存在している。それが掲句の「カラオケBOXを出ると」という規定のありようである。わたしは、そう、思う。宮台真司は〈世界〉を「ありとあらゆる全体」と定義したが、その「ありとあらゆる全体」は「カラオケBOX」という世界の偏狭によって規定される。

端的に言えば、わたしとあなたの世界はちがうのだ。わたしがどれだけ〈あんかけ〉として世界をまるごと感じようとそれは「カラオケBOX」を通した部分的知覚にすぎない。だからどのようなあんかけをもってしてもあなたの世界まで語ることはできない。それがこの句の〈あんかけ的あきらめ〉でもある。あんかけは、あんかけのエネルギーをもってしても、すべてを包含することはできない。このあんかけにはいつでも偏狭性=辺境性があるのだ。

ホットなあんかけは、クールなあんかけを忘れずに、それをかたわらに置きながら川柳として構造化された。あんかけにも、〈ちゃんと〉した文法があることを。

「あんかけ」に対してすべてをいっしょくたになおざりにすることなく、「ちゃんと」した部分を見出すこと。〈ちゃんとしたあんかけ〉を川柳として、構造として描くこと。

そうであればこそ、この語り手はたとえば「いちゃいちゃ」という〈愛のあんかけ行為〉にも「ちゃんと」した部分を見出すだろう。

どんなふうに?

すなわち次のように。

  秋深しちゃんといちゃいちゃする二人  泉紅実

        

  (『シンデレラの斜面』詩遊社・2003年 所収)

2016年6月17日金曜日

【最終回】 人外句境 40   [角川源義] / 佐藤りえ



月の人のひとりとならむ車椅子  角川源義




掲句は作者晩年の一句で、入院中の病棟屋上で月を眺めた折のことを詠んでいる…という情報は、「俳句研究」86年8月号の角川春樹氏による『卒意の俳句――角川源義の晩年』から得た。
月の人といえば「竹取物語」の月の都の住人を念頭に置くことになろうか。二句一章専心、景も大きく迫力満点、ぐぐっ、という擬音が似合うような源義の句柄とは少々かけ離れた印象を受ける。「ひとりとならむ」が推量なのか希望なのか、いずれのようにも取れながらも、あくまでそう「願っている」ように見えるのは、助動詞のはたらきではなく、月に対して我々が無意識下に持っている畏怖の念からくるのではないか、と思う。山本健吉の「定本 現代俳句」に『「月の人」は俳句では「月の客」「月の友」同様に「月見の人」を意味する』云々の記述があるが、そこでも後述されているように、「月の人」を月見客の表現の一とするのはかえって特殊すぎる。幾人かの月見のひとりとして…という読みも成立するといえばそうだろうか、しかしそれでは「ひとりとならむ」が大袈裟だ。

竹取物語において「月の人」は不老不死であるとともに「物思いもない」とされている(これが政治への批判を意図する…といった説はここではひとまず置く)。高畑勲監督のアニメーション映画「かぐや姫の物語」でも、迎えに来た使者に羽衣を着せられた途端、かぐや姫から育ててくれた翁・媼への思慕の念が消えてしまう描写があった。惑いのない心境とはどんなものだろうか。煩悩にまみれた一般人にとっては、理想郷のようでもあり、味気ない世界のようでもある。
「月の人」になれたらよかろう、と車椅子の一人は思っているのだろうか。あるいは、自身はすでに月の人のようなものである、つまり、此の世を去りゆくところだ、という感慨なのだろうか。

景も大きく迫力満点、ぐぐっ、という擬音が似合う、と書いたが、私自身が好きなのは、作者の以下のような句である。

ロダンの首泰山木は花得たり  『ロダンの首』 
百日紅縁者を埋けて帰り来る 
コロンバンと見さだめ春の夜となりぬ 
冬波に乗り夜が来る夜が来る  『秋燕』 
水すまし沼の独語を生れつげり 
中年の顔奪はるる泉かな 
ひつじ踏めば姨捨の海喪の色す

「コロンバンと見さだめ春の夜となりぬ」は、ああ、あれは野鳩(コロンバンはフランス語の野鳩)か、と暮れかかった春の空を行く鳥を遠く見ている景。初句最終音の「と」が結句の「と」と呼応して、軽やかなリズムを持つ。音と表記と内容のウェイトがスモーキーに釣り合った、美しい句である。「冬波に乗り夜が来る夜が来る」は補陀落渡海を詠んだ一連の作。音も、含意も恐ろしい。句材を離れ、独立して読んだにしても、「夜が来る」のリフレインが真言めいて聞こえてくる。


〈『角川源義全句集』1981/角川書店〉

2016年6月14日火曜日

フシギな短詩21[東直子]/柳本々々



桜桃忌に姉は出かけてゆきましたフィンガーボウルに水を残して    東直子




六月十九日は、小説家太宰治の忌日である桜桃忌。太宰治の遺体が玉川上水から上がった日であり、同時に、太宰治の誕生日でもある。

わたしたちは、短歌で、俳句で、川柳で、たびたび、太宰治に、または桜桃忌に、であう。でも、それらはそのときどきの形式に応じて少し特殊なかたちを伴ってあらわれてくる。今回は短歌にあらわれた桜桃忌。

太宰治は山崎富栄と玉川上水に身を投げて死んだ。だから(当時、流れが激しかったらしい)玉川上水に沈んだ太宰のボディにあふれる水と、この短歌における「水」はどこかで共振している。姉が残していったのは「フィンガーボウル」という手を洗うための「水」だった。太宰も「姉」も、身体を水に漬け込み・もみ込んだあとに旅立ったと言える。

でも、大事なことは、死者も出かけた姉も〈なにも語らない〉ということだ。死んだ太宰を語り続けているのは、死後も生きているこのわれわれであり、出かけてしまった姉に取り残されたこの〈わたし〉なのだ。

いったい、〈わたし〉は、なにを語ろうとしているのか。

実は桜桃忌に出かけた姉に対して「フィンガーボウルに水を残して」のイメージを付着させているのは取り残されたこの〈わたし〉なのである。姉はすでに出かけていないのだから。だとしたらむしろボディをめぐる「水」を通して死んだ太宰と共振しているのは妹であるこの〈わたし〉の方なのではないか。

姉についていかなかった〈わたし〉は桜桃忌には出席しない。取り残されたんだから。でもだからといって妹の〈わたし〉が桜桃忌に対してなにも思っていないわけではない。彼女は「桜桃忌」という太宰治の死をめぐる〈みんな〉のイヴェントにボディを赴かせるよりも、むしろボディをめぐる〈水〉を太宰と姉とともに語り起こすことによって〈言語〉を通じて〈太宰治の死〉に接近しようとしているのではないか。つまり彼女にとっての〈桜桃忌〉とは、この言語に、この短歌にこそ、あるのだ。

〈みんな〉の桜桃忌に対峙される〈ひとり〉の桜桃忌。

そう、忘れてはならないのは、この歌が「姉は出かけてゆきました」と「取り残された側」からの語りである点だ。

もし桜桃忌という文学イヴェントが太宰治をつねに想起し、語りつむぎながらも、一方でともに死んだ山崎富栄を忘却し抑圧していった側面があるのならば、その忘却され、いまだに言説の水のなかに沈んだままの山崎富栄の側から太宰治を語り起こしたらどうなるのか。「取り残された側」から、「取り残された水」から〈桜桃忌〉を思考=志向するとは、どういうことなのか。

そういう「取り残された側」の視線をこの短歌は含んでいるようにおもうのだ。「出かけて」いった〈姉〉を見つめる〈わたし〉の視線=語りとして。

そしてそのときはじめて〈わたし〉は、これまでとは違ったかたちで〈桜桃忌〉に近づいていけるのではないか。姉とはちがったかたちで。

  私の大好きな、よわい、やさしい、さびしい神様。世の中にある生命を、私に教えて下さったのは、あなたです。
  (山崎富栄『太宰治との愛と死のノート』学陽書房、1995年)

取り残された側、出席できなかった側、置いて行かれた側、忘れられた側からの桜桃忌。それをわたしに教えてくれたのは、短歌だった。

         

 (「第一歌集『春原さんのリコーダー』」『セレクション歌人26 東直子集』邑書林・2003年 所収)

2016年6月7日火曜日

フシギな短詩20[加藤治郎]/柳本々々



日曜はトースト二枚跳ね上がり)壊れた言葉(幸せみたい  加藤治郎



加藤治郎さんにとって記号ってなんなんだろうと時々考えているのだが、それは〈崩壊の徴(しるし)〉なのではないかと思ったりする。この壊れてしまった括弧のような。

つまり、わたしたちの言語感覚がそれによって壊れてしまうかもしれないことのその表徴となるのが加藤さんの短歌における記号なのではないかと。

そもそも記号とはフシギな存在だ。わたしたちの言語表現そのものなのではなく、それらを副次的に補佐するのが記号である。記号は文字通り記号なのだから、意味というよりは、意味の補佐なのである。

ところが加藤さんの短歌ではその記号が記号どおりの働きをしていない。むしろ記号は自分自身の意味の主導権を握り、記号がそれまで示さなかったような記号の独創性を発揮しようとしている。

つまり、わたしたちの言語体系がそこでほつれ、やぶれようとしているのだ。

記号そのものがメッセージを発しはじめてしまった風景。だとしたら、発話者であるわたしたちは記号とどう関係を結ぶべきなのか。それとも時にわたしたちの発話システムはそうした非人称の記号に発話の主導権を握られてしまうのか。

もちろん、この跳ね返った弾力のような括弧は、跳ね上がった二枚の「トースト」かもしれない。だとしたら、言語体系はそのトーストの跳躍によってほつれ始めている。

でも、ふっとわれにかえって、もしかしたら壊れはじめているのは、言語体系の方ではなく、〈わたしたちの風景〉の方ではないかとおもうのだ。

わたしはかつて「希望の廃墟」の話をしたことがある。それはほんとうは「記号の廃墟」の話だった。でもわたしの話をきいていた方が言った。「それ、《希望》の廃墟の話なのではないですか?」と。「いや、」とわたしは言った。私は《記号》の廃墟の話をしていたから。「でも、」と続けていった。もしかしたら、〈そう〉なのかもしれないといっしゅんで思ったから。ずっと、わたしは、希望の廃墟のことを思っていたかもしれなかったから。だから、「そうだとおもいます。だとしたら、──」とわたしは言った。

だとしたら、壊れた風景のなかで壊れた記号を抱きしめながら、創造しなおさなければならない。

記号の肉を。廃墟にも《これからの肉》が与えられるような、アダムとイヴになるような記号の肉体(ボディ)を。わたしたちは、創造しなければならない。新しい廃墟で。



少年を刺すのは変か)(ビニールの傘の淡さにボクが囁く  加藤治郎

少年を救うのは変か)(シャツに似た幽霊が跳ぶ乾燥機あり  〃

コンタクト・レンズの細い罅みれば)理解できない(批評はうたう  〃



          (「顔のない静物画」『環状線のモンスター』角川書店・2006年 所収)


2016年5月31日火曜日

フシギな短詩19[米川千嘉子]/柳本々々



  人生の主人公ときに替はる気せり 白湯(さゆ)に浮かびし顔ふつと飲む  米川千嘉子


太宰治『晩年』の最初に収められている「葉」のいちばん最後にこんな断片がある。




  生活。

  よい仕事をしたあとで
  一杯のお茶をすする
  お茶のあぶくに
  きれいな私の顔が
  いくつもいくつも
  うつっているのさ

  どうにか、なる。
    (太宰治「葉」『晩年』)

米川さんの歌の語り手も、太宰のこの語り手も、どちらも〈これから自分が飲もうとするもの〉にみずからの「顔」を投影しているのは共通している。大事なことは顔をうつしているのは〈鏡〉ではなく、「白湯」や「お茶」だということ。つまり、〈はかない〉のだ。それは〈鏡〉のようにいつまでも飽くことなくみつめつづけられるものではない。たゆたい、うつろい、波間に、或いは、あぶくが割れ、きえゆくものだ。〈内面〉が生まれるまえに、〈きえる〉のだ。顔、が。

でも、それが、大事なのではないか。

〈鏡〉はわたしたちの「顔」をうつし、そこでなにかを考えるにはあまりに強度をもっているのではないかと思うのだ。むしろ、鏡にわたしたちの顔は吸着されてしまっているのではないかと。偽の内面をつくらされているのではないか。

でも、白湯やお茶という〈液体〉をとおしてなら違う。そこには「人生の主人公ときに替はる気せり」という相対性がある。「いくつもいくつもうつっている」〈わたし〉という相対性。

だからこそ、「どうにか、なる」と思うこともできる。思い詰めないことによって、だ。

わたしたちは「白湯」や「お茶」にうつったわたしの顔をみることによって、〈顔の複数性〉を手に入れることができるのではないかとおもうのだ。それが、「どうにか、なる」ことなのではないか。

顔をうつし、そのうつした顔に魅了されるまえに、もういちどわたしの顔に顔を取り戻すこと。そういう顔の往還運動のなかに、わたしの生の相対性がうまれること。

わたしの顔に、絶対性を与えないこと。

どんなに「死のうと思って」も、たえず、歌を、言語を、顔をとおして〈わたし〉に複数性を与えること。もうひとつの生を。どんなに生が行き詰まっても、わたしたちはわたしとわたしの往還をつづける限り、

どうにか、なる。

  死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
  (太宰治「葉」『晩年』)


          (「月光すわる」『一葉の井戸』雁書館・2001年 所収)

2016年5月24日火曜日

フシギな短詩18[野間幸恵]/柳本々々




  この世でもあの世でもなく耳の水  野間幸恵


句集『WATER WAX』のいちばん最後に収められたのが掲句である。最後まで読んだあとにもう一度頭から読み始めて気がついたのが、この句集はこんな句で始まっている。

  耳の奧でジャマイカが濡れている  野間幸恵

つまりこの句集は〈耳〉と〈水〉をめぐる場所から始まり、そうしてまたその最後にいたって〈耳〉と〈水〉にたどりついたのだ。

では、なにが変わったのか。

「耳の奧でジャマイカが濡れている」は、「ジャマイカ」という特定の場所である。そこではいわば、語り手はまだ「ジャマイカ」という特定の場所にとらわれている。また「ジャマイカ」を「濡」らしている水もまた、ジャマイカのなかに閉じこめられている。ここではある特定の〈場所〉が浮き彫りになっている。

しかし句集を通して語り手がたどりついた場所は「この世でもあの世でもなく耳の水」という「この世でもあの世でもな」い〈非・場所〉だった。もはやそこにた対象化し、特定できるような「ジャマイカ」は存在しない。「この世でもあの世でもない」ずっとたゆたう場所に語り手はたどりついたのだ。そしてそこに〈水〉が存在している。

この〈水〉は「耳の水」と「耳」のなかに閉じこめられた水かもしれないけれど、わたしたちが〈実感〉としてわかるように「耳の水」はあるとき突然わたしたちの「耳」から〈抜ける〉。それは〈濡れる〉という浸透の様態とは違い、どこかに〈流れ出る〉水なのだ。

つまり、わたしはこんなふうに、おもう。この句集が最終的にたどりついた場所とは、〈水化された非・場所〉なのではないかと。水のように滔々と流れ続ける〈場所〉。どこにも〈地点〉をみいだすことのない〈場所化できない場所〉。それがこの句集をめぐる〈場所〉の所在なのではないかと思うのだ。

  無いものを探して耳のかたちかな  野間幸恵

俳句のなかでわたしたちは水そのものを旅したり、耳そのものを冒険したりすることができる。わたしたちは〈ここ〉にいるのではない。たえず〈ここ〉になることのできない〈ここ〉がわたしたちのなかに〈ある〉のだ。水、のような。

          (『WATER WAX』あざみエージェント・2016年 所収)

2016年5月17日火曜日

フシギな短詩17[リチャード・ブローティガン]/柳本々々




  ・・・・・
  ・・・・・・・
  (十二個の)赤い実だ  リチャード・ブローティガン


「イチゴの俳句」と題された一句。イチゴは、夏の季語だ。しかしブローティガンにとっては、かれの小説ではおばあさんや階段が小川のせせらぎに見えたりすることもあるように、あらわれてきたイチゴはイチゴそのものではなく、・(ナカグロ)という〈つぶつぶ〉だった。かれは俳句という形式によってなにも語ろうとはしなかったのだ。

ブローティガンにとって〈俳句〉とはなんだったのだろうと時々、かんがえている。

 ぼくは十七歳になり、十八歳になり、十七世紀からの日本の俳句を読みはじめた。芭蕉と一茶を読んだ。感情と細部とイメージを一点にあつめるように言葉を使って、露のしずくのような堅固な形式にたどりつくかれらの方法が、ぼくは気に入った。
  (ブローティガン「はじめに」『東京日記』)

ブローティガンにとって俳句は「露のしずく」だった。そう言われてみれば、掲句の「・」もしずくに見えなくもない。彼が発明した〈しずくの俳句〉である。

もし〈俳句〉がなにかを熱心に物語ろうとする行為を厭う表現形式であるならば、かれの『アメリカの鱒釣り』という小説はある意味で、とても〈俳句的〉というか〈俳文〉のようなものだったかもしれない。

なぜなら、かれはそこで、なにひとつ語ろうとはしなかったからだ。〈アメリカの鱒釣り〉に固執し、それだけをえんえんと周回し、断片を重ねる奇妙な小説。そこにはさまざまなかたちをとって〈アメリカの鱒釣り〉があらわれるけれど、決して〈アメリカの鱒釣り〉そのものは最後まであらわれない。メタモルフォーゼした〈アメリカの鱒釣り〉があらわれては消え、物語はどこにも収束=終息しない。

いや、ゆいいつ、最後に一点だけ、物語は収束する。「マヨネーズ」に。

語り手は、いう。私は以前からマヨネーズで終わらせる小説を書きたかった、と。ここには〈大いなる意識の逸脱〉がある。それまで積み上げた〈アメリカの鱒釣り〉を放棄し、「マヨネーズ」へと逸脱すること。

わたしはときどき俳句とは、この〈意識の逸脱〉を形式化したものではないかとおもうのだ。用意された季語のかたわらにふっと逸脱した〈なにか〉が配置される。しかしそれが定型によってマヨネーズのように奇妙な塩梅で配合され、組成されたもの。HAIKU。

掲句が載った『東京日記』はブローティガンが東京をうろうろしながら綴った詩であり日記である。それは東京に点在する〈しずく〉のようなもの。〈黄色いライオン〉と呼ばれた詩人は、東京のあちこちで、新宿で、明治神宮で、銀座で、東京駅で、〈詩のしずく〉を拾い集めた。ひとつひとつの〈・〉を。

 いつの日か自分は日本に行かなくてはならないとさとった。ぼくの生命の一部はぼくより先に日本に行っていた。ぼくの本は日本語に訳されていて、それに対する反応はとても知的なものだった。そのことがぼくをはげまし、森の中をこっそりと動いてゆくオオカミのように、書くということの、ひとりぼっちの道すじをたどりつづける勇気をあたえてくれた。
  (ブローティガン「はじめに」『東京日記』)

わたしもブローティガンがかき集め、残した言語化できない〈・〉のひとつぶひとつぶから今まで「勇気」をもらってきた。それはたぶん〈勇気のイチゴ〉だったんじゃないかなと今あらためて思うのだ。次のような。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回の記事は(あえて唐突に)この言葉で終わってみたい。わたしもこの言葉で終わる記事をいつか書きたいと思っていたから。

マヨネーズ。

          (福間健二訳「イチゴの俳句」『東京日記』思潮社・1992年 所収)

2016年5月10日火曜日

フシギな短詩16[中澤系]/柳本々々




理解したような気がした 理解したような気がした、ような気がした  中澤系

ときどき、中澤系さんにとって〈理解〉とはなんだったのだろうと考えている。中澤さんには〈理解〉をめぐるとても有名な歌がある。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって  中澤系

穂村弘さんがこの歌に対してこんな〈理解〉をめぐる解説をしている。

 今、それが「理解できる人」であっても、進化や変化や崩壊を無限に繰り返す世界のルールを永遠に理解し続けることはできない。どこかで必ずついていけなくなる日がくる。誰もが未来のどこかの地点で、世界から「理解できない人は」と告げられることになる。「下がって」と。
  (「未来の声」『中澤系歌集 uta0001.txt』双風舎・2015年 所収)

穂村さんの解説を敷衍して私なりに言葉にしてみれば、中澤系さんにとって〈理解〉とは言葉の受け手が〈枝分かれ〉するものであったのではないだろうか。

たとえば「快速電車が通過しますお下がりください」はその言葉の受容者を一枚岩にするものだ。そのときひとりひとりは〈みんな〉になって「お下がり」するだろう。だれも・なにも・疑わずに。

ところがそこに「理解」という、言葉の受け手にとって〈理解の仕方〉に差異がでる言葉の場合は、シーンが変わってくる。理解できるひとも出てくれば、理解できないひとも出てくる。穂村さんが書いたように、きょう理解できても、あした理解できないひともいるだろう。もちろん、きょう理解できなくて、あした理解してしまうひともいるかもしれない。

ともかく〈理解〉によって状況は〈偶有〉的になるのだ。つまり、わたしたちは、そのつど〈たまたま〉「お下がり」している者たちに過ぎないと。そしてもっといえば、きょうわたしたちは〈たまたま〉いまここにいてみずからの存在を〈たまたま〉受け止めているにすぎないんだと。

だとしたら、わたしたちは〈理解〉という言葉そのものを《理解》することが困難なのではないだろうか。〈理解〉したと思っても、それは次のしゅんかんには〈食い違って〉いるかもしれない。幻想かもしれない。錯覚かもしれない。

だから初めに掲げた歌にわたしたちは戻ってくる。

  理解したような気がした 理解したような気がした、ような気がした  中澤系

理解に〈終わり〉はない。「理解」という言葉を提出したしゅんかん、わたしたちは〈果て〉のない〈平坦な戦場〉を生き延びてゆかねばならないことを自覚する。いや、させられてしまうのだ。「理解」という発話そのものから。

  理解とはなにかぼくにはわからないわからないことだけわかるけど  中澤系

加藤治郎さんは中澤さんの歌集のモチーフをこんなふうに指摘していた。

 「終わらない」ことは、この歌集のモチーフであった。
  (「uta のために」前掲)

わたしたちは、たぶん、「理解」を「理解」しあえない。

でもそこから、もういちど、始めてみたい。また終わるために。

          (「Ⅰ 糖衣(シュガーコート)1998 1999」『中澤系歌集 uta0001.txt』双風舎・2015年 所収)

2016年5月6日金曜日

人外句境 39  [寺山修司] / 佐藤りえ



旅鶴や身におぼえなき姉がいて  寺山修司


あくまで「旅鶴」ということばに引きずられながらの連想ではあるけれど。旅籠の自室に戻ろうと襖をあけた途端、「おかえり」と言って迎える女が室内にいたとする。面食らって立ち尽くす自分をよそに、女は楽しそうに他愛のない話をまくしたてる。話の途中で女が「姉さんだって」などというのが耳にひっかかる。そうだ、俺には姉がいたのだ。この部屋で姉とふたり、今朝まで暮らしていたんじゃないか――。

漱石の『夢十夜』にも、背負われた子供が、道中、負うた男の前世の子殺しを咎めだす、という話がある。どこの誰とも知れぬ存在が、既知のはずの身内として現れる、というのは古典的な状況設定のひとつといえる。

寺山修司においての「見知らぬ身内」は概念としての存在のようでもあるし、舞台装置のひとつひとつのようでもある。父・母・姉・妹・弟・伯父…といった親族がぽつりぽつりとあらわれ、薄暗がりに浮かび上がる。彼岸の者も未生の者も等しく存在しうる世界が、作者の今いる世界である。

 外套のままのひる寝にあらわれて父よりほかの霊と思えず
 間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子
 まだ生まれざるおとうとが暁の曠野の果てに牛呼ぶ声ぞ

 午後二時の玉突き父の悪霊呼び 
 暗室より水の音する母の情事 
 いもうとを蟹座の星の下に撲つ 
 枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや

『寺山修司コレクション』に再録された岡井隆の文章に、こんな一節がある。

 寺山修司の文学には、
 〈なってみる〉
 という要素がつよかったのではないか。(中略)
 〈なってみる〉という時の見る人は、誰なのか。やはり、そう〈なった〉自分であろう。自分で、自分の成りかわったすがたを〈見る〉のである。そこに余裕がある。(中略)ひたすらに、なにものかに化ける執念を、横目でみながら、イナしている。そこに含羞がある。

寺山修司の作品が私性の話題に及ぶとき、この「私」の入れ子構造が、我慢ならない人にとっては我慢ならない仕組みなのだろう、と思う。掲出句でいえば、身に覚えのない姉がいる「私」の狼狽を見ている「私」の存在がある。“て止め”によってあぶり出された、緊張感をたたえた「姉と私の場面」を、「私」は読者と一緒に見ている側にいる。



〈『寺山修司コレクション1全歌集全句集』思潮社/1992

2016年5月3日火曜日

フシギな短詩15[なかはられいこ]/柳本々々



  いとこでも甘納豆でもなく桜  なかはられいこ


「AでもBでもなく桜」と二度の〈否定〉を通してはじめて「桜」にたどりつくのが掲句だ。「いとこ」や「甘納豆」という具体名はあがるもののそれらがスルーされ、ながいながい遠回りをして語り手はやっと「桜」にたどりつく。

だからこの句をこんなふうに指摘してみたい。これは〈回避〉の句なんだと。語り手は〈回避〉することによってはじめて「桜」にたどりついたのだ。

しかし、なんのために〈回避〉するのだろう。はじめからひとは「桜」にたどり着くことができないのだろうか。

補助線を引くためになかはらさんのこんな〈回避〉の句もあげてみよう。

  行かないと思う中国も天国も  なかはられいこ
     (「黄身つぶす派」『川柳ねじまき』第1号・ねじまき句会・2014年 所収)

語り手はやはり二度の〈否定〉を通してある〈地点〉を指し示そうとしている。それがどこなのかはわからない。が、「中国」でも「天国」でもないことは確かだ。それは「中国」と「天国」を否定した先にみえてくる〈どこか〉なのだ。

でも考えてみてほしい。ひとはなんのために〈否定〉するのかを。しかも、二度も。

わたしはこんなふうに思う。語り手にとって「いとこ」や「甘納豆」や「中国」や「天国」は非常に磁力の強いものだった。〈否定〉しなければ、「いとこ」や「甘納豆」が「桜」の代替になり、「中国」や「天国」が語り手が〈行くべき場所〉になってしまうくらいに強度のあるものだった。だからこそ、〈否定〉しなければならなかったんじゃないかと。

でも〈否定〉することによって逆に浮き彫りになってきたのはむしろ「いとこ」であり「甘納豆」であり「中国」であり「天国」だった。〈否定〉という行為によって逆に語り手がいつも〈なに〉に意識を向けているかが逆照射されたのだ。

鶴見俊輔はかつて「書かないことが、書くことの中心にあり、話さないことが話の中心にある」と述べた。語らないことの方にむしろ語ろうとすることはある。

だから語り手にとって〈ほんとうの桜〉は、「桜」ではないのかもしれない。「いとこ」や「甘納豆」を《AでもBでもなくX》構文のXに代入できたときに初めて「桜」に出会えるものなのではないかとも思うのだ。つまり、語り手がもう〈回避〉する必要性を感じなくなったときにこそ、語り手は「桜」と正対できるんじゃないかと。

それまでは語り手にとっての「桜」は否定しても否定しても逆に否定することによって強度をもって浮かび上がってくる「いとこ」や「甘納豆」とともにあり続けるだろう。

でも「桜」にたどりつくことよりも、〈なかなかたどりつけなかった〉ことそのものにこそ私は意味を見いだしたい。〈回避〉しても〈回避〉してもやってくる〈なにか〉を思考しつづけることが実は語り手の生そのものになっているのでもないか。〈回避〉を生き直すこと。

思想家のラカンも言っていたはずだ。「あるひとつの経験を考察しようとするときに重要なのは、何を理解しているかよりも、何を理解していないかです」と(『フロイトの技法論』)。

そう、わたしたちは、わたしたちがいつも語ろうとしない〈回避〉のなかに《こそ》、棲みつづけているのだ。

          (「くちびるにウエハース」『川柳ねじまき』第2号・ねじまき句会・2015年 所収)