2015年12月6日日曜日

ノートは横書きのままで。1 [石田郷子] /  宮﨑莉々香



 かへりみて冷たき空のありにけり  石田郷子


 「空」を詠んだ俳句はたくさんある。青空、大空、季節の空。なんども同じことを詠んで、そのなかで一番いいものが生み出せたらそれでいいよう思って、今日も空がわたしの前にあるなあ、と思って、俳句ノートをひらく。

 わたしたちは「冬空」として空を認識することはなく、おそらく「空」として空自体を見る。 振り返り一瞬で冬空を感じることはない。ただゆっくりと、奥まで澄みきった「空」を認識し、それから「冬空」としての「空」をたしかめていく。「冷たき」は「空」を修飾しているので、もちろん空が寒々としていると見ることができる。一方で、作品の主体自身も「つめたさ」をからだに感じていて、身体的な寒さを追うようにして空がひらける。自身の感覚を通して「空」を「冬空」と捉えているようにも考えられる。

 振り返る行為はあらためるニュアンスを含む。いつも目にしている空だが、あらためて見ると違って見えた。それはただの「空」でなく「冷たい空」だったのだ。


<『草の王』2015年ふらんす堂所収>