春闌けて落ちるおちると川の水 桑原三郎
春爛漫の頃、花々や鳥たちが賑やかになり心落ち着かなく、外へ出たいと思うようになる。その頃は同時に水を感じる季節でもある。すべてが清々しく、あぁ春だと思う。掲句は春の中にいる作者に虚しく映っている水の景である。大自然の摂理の中に生きる人間の業の悲しみが伝わる。おそらくそれは中七の「落ちるおちる」にインパクトがあるからではないか。落ちていくことが解っている景を見ているにも関わらず、その危うさに虚無感が感じられる。落ちるおちる、あぁ落ちていった、というような作者心理が伺える。
春が闌けているのに「落ちる」という逆の構造、そして「落ちるおちる」のリフレインと表記が<散る>を徐々に連想させ、読者を空虚の世界へと引き込んでいく。
川の流れを見て、思い出すのは、下記の方丈記の冒頭だ。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず 鴨長明
水の流れを人の営みや、時の流れに重ね合わせてきたのが、詩歌の歴史でもある。落ちるもの・・・恋として見ることもできる。そしてすべては下五「川の水」へと繋がり流れていく。夢なのか現なのかとその境がわからなくなる間(あわい)に作者立っているのである。
<『龍集』1885(昭和60)年端渓社所収>