2016年4月24日日曜日

黄金をたたく30  [桑原三郎]  / 北川美美



生涯の顔をいぢつている春よ  桑原三郎 


「春よ」としたことで、春の歓喜を詠っていると解せる。冬の間の強張った顔がやわらぐ季節に顔をいじる。おそらく他者の顔ではなく自分の顔。鏡を見ずに眉や鼻や頬、髪や髭をいじるのであれば、何か考え事をしているとき、というのが大筋だけれど、「生涯の顔」であれば、「いじつている」行為をしばらく見ている、それが「生涯の顔」であると自分が認識する必要があり、その状況から、鏡の前のことなのではないかと想像する。 ふと、鏡の前の自分の顔が気になって「いじる」。また春が巡ってきた歓びと、いつかは死んでいく己の生きてきた顔かたちを自らの手で確めている。どうだ、お前元気か、と自分が自分に問いかける。なにはともあれ自分がつくってきた顔、今まで連れ添ってきた自分の顔なのである。

三郎の「顔」の句は春に詠まれることが多い。身体の中で一番先に春を感じる部位が、顔。逆を言えば、顔に気が付く季節が春である。一年中なにも纏っていない無垢な部位だから一番先に季節を感じるのだ。

手に乗せて顔はやはらか春あけぼの  「花表」
ちるはなや顔(かんばせ)は吹き荒らされて 「龍集」
顔を置く机上はひろし夜の鶯

<『龍集』1885(昭和60)年 端渓社所収>