ポメラニアンすごい不倫の話きく 長嶋有
不倫で大事なことはなんだろうか。
不倫で大事なのはそれがいつも他者から評価をうける点にある。当事者が評価するのではないのだ。
不倫の当事者はじぶんたちの〈不倫〉を〈不倫〉とは言わずに、〈恋愛〉というだろう。〈不倫〉を〈不倫〉というのはこの句の語り手のように当事者〈以外〉に身を置いた人間なのである。
不倫をめぐる距離感。
私はこの句のポイントは語り手の《不倫をめぐ距離感》にあるのではないかと思うのだ。
「すごい不倫の話」を語り手はきいているわけだが、語り手はその不倫関係のなかにあるわけではない。でも、不倫の話をきいてしまった以上、それは〈知る〉という不可逆のなかに身をおいたのであり、その意味で語り手は不倫関係に関係したともいえる。
しかも、ただの「不倫」ではなくて、「すごい不倫」と語り手は語っている。語り手のある想定内をこえた「不倫」であり、その意味において〈他の不倫〉からは抜きんでた〈不倫〉でもある。
「すごい」という不倫の形容詞。
不倫をしているものどうしは、「今わたしたちすごい不倫をしているね」とは言わないだろう(「すごくだいすきだよ」とは言うかもしれないが)。それを言えるのは〈外〉にいる人間だけなのだ。でもその「すごい」という価値評価によって語り手は少なからずその「すごい不倫」に関わり始めている。なぜなら、きょうみがなければひとは価値評価なんてしないだろうから。その「すごい」によって語り手は「すごい不倫」と関係を持ち始めている。
そしてこの句にはもうひとつの大事な語り手が見出した不倫をめぐる関係性がある。「ポメラニアン」と「不倫」との距離だ。「ポメラニアン」という無垢な表情をした小型犬の〈あどけなさ〉と「すごい不倫」という人間のどろどろした〈すさまじさ〉の距離感。
「不倫」をめぐって語り手はこの距離感をひとつに束ねるために〈俳句〉を用意した。「ポメラニアン」と「すごい不倫」と語り手が〈俳句〉を通して〈不適切〉に出会ってしまう意味的な〈不倫関係〉がここにはある。
わたしたちはときどき「すごい不倫」の話をきく。わたしたちは「すごい不倫」のわきでなにげなく買い物をしたり、ブランコに乗ったり、小川のほとりでたたずんでおしゃべりをしたり、電車のなかでずっと読みかけのままだった文庫本を読み終えたりする。でも「すごい不倫」はいつもそこここにある。
わたしたちはいつも《位置》を要請されている。
でも、〈俳句〉がときどきその〈位置関係〉を教えてくれることがある。
「ポメラニアン」も、「すごい不倫」も、あなたの顔をじっとみている。あなたが、なにを言うのかと。《わたしたち》をどうするのかと。
そのとき、あなたははじめて口にするかもしれない。
いったい、なにを?
俳句、を。
(『春のお辞儀』ふらんす堂・2014年 所収)