2016年11月22日火曜日

フシギな短詩60[平岡直子]/柳本々々




  三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった  平岡直子

短歌には有名な「三越のライオン」が歌がある。そこから入ってみよう。

  三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ  荻原裕幸
  (「未完歌集『永遠青天症」『デジタル・ビスケット』沖積舎、2001年)


この荻原さんの歌には実は「栄にて。四首」という詞書がついている。だからこの「三越」は「名古屋三越 栄店」ということになる。今も「三越栄店」に行けば、この「ひとりふたりさんにん」の列にあなたも加わることができるというわけだ。そして注意したいのが「四首」と続きものになっていることだ。その四首のなかには、

  噴水のぐんぐんのびてはたと止む繰り返し見る、何が見させる  荻原裕幸

  細ながき空地のふかく空きをれば誰かが植ゑてあぢさゐの列  〃
  (前掲)

といった歌がある。これらも合わせてライオンの歌を考えてみるとどうなるのか。

まずわかるのは、語り手が興味関心を多分に示しているのが〈不可解な力〉だということだ。「何の力だ」という驚きとおののきに端的に現れているように語り手にはそれが「何の力」なのかはわかっていない。しかしそれが「力」であることはわかっている。その「力」の分類ができないのが語り手の立ち位置である。分類ができない力だから驚いている。

他の二首もみてほしい。「何が見させる」とやはり語り手は自分が「噴水」を見てしまうその力を理解できていない。また「あぢさゐの列」に対して「誰かが植ゑて」とここでもその「あぢさゐの列」を生成する力学の〈もともと〉の所在を語り手は「誰か」としか把持できない。

名古屋の「栄」において語り手は〈不可解な力〉に遭遇していた。

では、平岡さんの歌はどうだろう。平岡さんの歌では〈不可解な力〉への遭遇が回避されている。荻原さんの語り手は、所在はつかめなかったものの「力」には出会うことができた。「力」が機能している現場に居合わせることができた。ところが平岡さんの現場は徹底して〈無・力〉なのだ。

それは「三越のライオンに」という対象を特定する助詞「に」が取り払われて、「三越のライオン見つけられなくて」と〈片言(かたこと)〉になっていることからもわかるだろう。「見つけられ」なかったのは「ライオン」だけではない。助詞も、である。

しかも、〈見つからない〉というのを《あえて》「見つけられなくて」という長い迂遠の語りを採用している。語り手はこのことばの長さのとおりにそれだけ〈さがす力量〉を持ち合わせていた、にもかかわらずその力量に応えてくれる「ライオン」がいなかったということなのだ。無・力。

もちろん、この歌では文法もまた無力である。〈悲しかった〉という心情に見合ったなめらかな言葉は採用されず、「悲しいだった 悲しいだった」と無骨なぎこちない凸凹の文法が二度も採用されている。文法でさえも、無力なのである。

だとしたら、この平岡さんの歌は、荻原さんの「力」の歌を、〈脱力〉させ、解体する積極的無力の歌とも言えるのではないか。

荻原さんの歌では、「ライオンに手を触れる」人間たちについては「ひとりふたりさんにん」とひとりずつていねいに語っているが、「ライオンが見つけられ」なかった人間については語っていない。そこでは「力」に触れられなかった者はある意味、〈スルー〉されたのだと言ってもいい(ただし、語り手は〈遠目〉からその光景をみていた。「何の力だ」と。だからこの歌はある意味で、「何の力だ」から語り手自身が排除(スルー)される歌にもなっている。その意味ではこの歌は構造的に〈スルー〉を〈スルー〉していない)。

しかし、その「ライオン」さえも「見つけられ」なかった、「力」にふれることさえできない者たちがいること。しかもそれを他者に伝達することばの力さえも持たない者がいること。そういう視点を平岡さんはこの歌に導入しているように思うのだ。

それは「力」に触れ得なかった者たちが「ひとり/ふたり/さんにん」と無力でありながら生きていくための「生き延び方」についての話だ。

    海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した  平岡直子
         

 (「生き延び方について話した」『桜前線開架宣言』左右社・2015年 所収)