貝殻追放月は人照らしけり 田中裕明
「貝殻追放」は前6世紀末にクレイステネスが定めた僭主追放の制度のことをいう。その際、市民の投票に使われたのが貝殻だったことからその名がついたとされる(のち陶片が使われたため別名は「陶片追放」)。
そのオストラシズムに鑑みて言えば、今日の人間は地球という領土にとって充分僭主たりえているのではないだろうか。
うじゃうじゃいるので追放するにも手間がかかって仕様がない。星外から未知の生物がやってきて「んほあ」とひとこと言った途端に地球上から人類が姿を消してしまったとしても、文句を言える立場にあるものはいない気がする。
掲句の月、その光を慈悲の光と見るか、監視の光線と見るかで、気の咎め具合がぐっと変わる。詠歎の「けり」で締めくくられた表現に月の静かな圧を思う。
月に住まうひとびとの物語を書かせたのは、じつはいにしえ人のこころの中の疚しさだったりするのだろうか。
月は何も言わず、いつもそこで見ている。
〈『田中裕明全句集』ふらんす堂 2007〉