初夢や金も拾はず死にもせず 夏目漱石
初夢だからといって、特別おめでたい夢を見るかといえばそうでもない。いつものように、訳の分からない夢だったり、現実と混同してしまうようなリアルな夢だったり、そもそも夢を見たかどうかすらあやふやだったり、そんなもの。でもそういう、日常と何ら変わらないことにめでたさや嬉しさを感じるのが人間。
とはいえ、「金も拾はず」がめでたいと感じるのも、考えてみれば不思議だ。さすがに100万円拾う夢を見たら不安も拭い切れないが、100円拾う夢だったら何の懸念もなく「めでたい夢だ」と思うだろう。多分、日常的で一般的なめでたさの基準は、ここだ。逆に1円でも落とせば、どこか不吉な感じが漂う。「金も拾はず」が、めでたさラインのすれすれを言い当てている。だからこそ、「死にもせず」が非常に幸せなものとして映る。
ところで、「幸せ」は、世相をリアルタイムで映し出すものだとつくづく思う。「死にもせず」生きていることがどれだけ幸せであるのか。一ヶ月前にこの句を鑑賞するのと、今日鑑賞するのと、心持ちが大きく異なる、という日本人は、特に多いに違いない。そう思いつつ、2015年の立春の日も終わりを迎えようとしている。
《出典:『漱石全集』》