春の気と春の水あり池をなす 和田悟朗
気と水。
気は見えない。しかし、集合体となり凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素とする解釈がある。水は液状のものの全般であり、日本語では湯に対比して使われる。池は溜まるものであり、窪みがないと溜まらない。地形を成すことと解釈する。春は地球を意識する。万物の根源が春にはじまる宇宙的概念を想う。春は繰り返され、生命が生まれる。
春大地水を湛えて渚なす 『風車』
多時間の林を抜けて春の海
空間を貫く時間鳥渡る
空間を曲し一徹やいかぐら
たましいの膨れんばかり黄砂の中
水も気も雲も土も、宇宙に存在する一切のもの。森羅万象の「森羅」は樹木が限りなく茂り並ぶことであり、「万象」は万物やあらゆる現象である。あらゆる存在物を包容する無限の空間と時間が広がってゆく。
和田悟朗氏が春の日に逝ってしまった。魂が宇宙に存在しつづけることを思う。黙祷。