家に時計なければ雪はとめどなし 森澄雄
第一句集『雪櫟』は学生時代を中心に、応召・野戦時代を空けて帰還以後の作によって編まれた。結婚・上京後に住んだ武蔵野の櫟林に囲まれた自宅を詠んだ一作が掲句である。
時計、つまり「時間感覚」と「雪」との連想をめぐる俳句はしばしば詠まれている。草田男の〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉や波郷の〈雪降れり時間の束の降るごとく〉は言わずもがな、子規の〈いくたびも雪の深さをたづねけり〉にも、そこには確かな静けさを湛えた時間が流れている。そう考えていくと、「雪」と「時間」の連想というよりは、きっと「雪」そのものに「時間」が包摂されている。
僕も時計のない家にひとり、暮らしている。得体のしれぬ喪失感や満たされなさを抱えているうちに、時は過ぎ去ってゆく。時計の針が時間を教えてくれることもない。とめどない雪が、そして茫々たる時間が、僕のからだにふりかかる。時計がなければ、瞳は時を捉えきれない。そんなちいさな家に、雪がふりかかる。澄雄の住んだ家は、戦後の窮乏のなか妻子四人と暮らしたちいさな家であった。
(『雪櫟』昭和二十九年・書肆ユリイカ刊所収)