四肢衰へて見る白桃は夢のごとし 森澄雄澄雄は昭和二十三年三月に結婚し直ちに上京するものの、同年五月に腎を病み、以降一年余りを病床で過ごした。澄雄の病状が最悪のタイミングで妻が出産のため単独入院したことに、〈霜夜待つ丹田に吾子生まるるを〉の句を残している。決して安らかな病床ではなかったようだが、その時間が澄雄のこころを育んだのもまた事実であろう。身体は衰えを隠せないが、彼の内的世界は膨張した。
腎を病んで衰えた自らに、剝かれた白桃が差し出されているのだろうか。澄雄はつややかな白桃を「夢のごとし」と捉えた。確かに、身体の衰えと白桃の豊かさが対比されている構図が中心であり、この生命のモチーフを一種のパターンであると批判する、あるいは「夢のごとし」という表現が俗に使い古されていると批判することもできるだろう。しかし、重要なのはこの句が「白桃が存在し、それを味わうことが夢のようだ」ということではなく「白桃そのものが夢のようだ」と表現されていることだ。病床で長い時を臥せる者にとって、夢は慰みだろうか。僕には想像することしかできないが、もしそうだとするならば、澄雄の戯れた夢の数々が白桃という存在に凝縮されて甘い汁を湛えているような心地がしてならない。眠る度に消費されていく夢を、四肢衰えた澄雄は「見た」のではないだろうか。澄雄の言語世界で白桃の白さは、そんなまぼろしの光を纏っている。
(『雪櫟』昭和二十九年・書肆ユリイカ刊所収)