椀に降る牢獄(ひとや)ながらの世は初雪 大井恒行「世の」ではなく、「世は」であることが眼目であろう。この助詞のずらし方により、この世と初雪の位置が重なり、下五において句が飛躍的に広がる。牢獄のような濁世の儚さを端的に喩えているのであるが、同時に、作者にとっては未だに初雪の如く初々しく見える世をも称えてもいる。
椀とは何だろう。山頭火の「鉄鉢の中へも霰」を思う。「碗」ではなく、木製の「椀」であるから、これはたとえ霰が落ちても大して響かない。ましてや初雪である。初雪に喩えられる此の世は音を吸い、自らも静かなのである。或いはかくあれかしと作者は希うのだろうか。「牢獄」なる語から、囚われの身に出される貧しい食をも思う。椀に降るのは雪でもあるが此の世全体でもあるのだから、これは相当大きい椀であろう。世の果てまで広がる伸縮自在の碗とも考えられる。そう考えた時、そのように喩えられるものはたった一つしかない。人間の心である。だから、この椀は作者自身の象徴であろう。作者が此の世を越えてはみ出したいと思っているように見えてならぬ。何の為にそこまで広がりたいかといえば、それは初雪を受けるが如く、この世を静かに受け止めたいからだ。「秋(トキ)の詩(ウタ)」
<現代俳句文庫49『大井恒行句集』1999年ふらんす堂所収>