草餅を邪神に供へ杵洗ふ 車谷長吉
邪神に草餅を供える。どのようなよこしまな神かわからないが、供えるものとして草餅、はどこか素朴で愛らしい。真摯な願いなら白い餅でよいのではないか。悪鬼が相手なら生贄として生き物やら生血やらが喜ばれそうなものでもある。
しかもその餅は杵と臼で手つきされたものらしい。念が入っているのか、真剣なのか、巫山戯ているのか。杵を洗う男の背中はゆるぎなく、笑っていいのか怖れていいのか戸惑う。
農村においては草餅は年中行事などに関わりなく、よく作られる。食事を神仏に供えるように、もらい物や初物をまずはほとけさんに、という時に、異形の邪神がひっそりその端にいるような、微妙に歪な日常感がにじんでいる。
中年やメロンの味に胸騒ぎ
同句集にはこのような句もあり、やはり男の胸中はわからないなと思う。
〈『車谷長吉句集』沖積舎/2003〉