回送電車軽々と行く秋の夜半 林望
すべての乗客が降りた後、車庫にしまわれるべく「回送」の表示を掲げ、ホームを出て行く電車。さっきまでのすし詰めが嘘のように、向こう側の座席や窓がよく見える、がらんと見通しのいい車両はいかにも軽そうだ。
「軽々と」の措辞が、ほんとうに軽い、重さからやっと解放された…といった趣を感じさせて、実は「質量のないひと」がびっしり乗ってるんじゃないか、という深読みを抱いてしまった。
酔っ払いや、騒々しい学生や、おしゃべりの堪えない女子や、駆け込み乗車をするものや、傍若無人な人間たちが跋扈する、混み合う車両を避けて、物理的に重量を持たない方たちが、ヤレヤレ、と乗っていくのが回送電車の車列なのかもしれない、なんてことを思うのは、秋の夜長の妄想に過ぎない。
〈『しのびねしふ』祥伝社/2015〉