2017年6月30日金曜日

続フシギな短詩138[奈良一艘]/柳本々々


  ひとときは鯖缶その後モアイ像  奈良一艘

短詩の読解が一般にそうだと思うのだけれども、特に現代川柳を読むことっていうのはとても難しいことなんじゃないかと感じている。なにが難しいかというと、〈わかりそうで・わからない〉ところが難しい。〈わからない〉だったら問題は、ない。あきらめがつくので。

でも、〈わかりそうで・わからない〉のだ。広瀬ちえみさんのところでも少しはなしたけれど、川柳はそういうところを何度も何度も連打しているように思う。〈~しそうで・~しない〉ところを。

最近私は「伝達性」「共感性」「意味性」というテーマを与えられたことがあって、この三つでみてみると、わりあい、川柳というものは〈わかりやすくなる〉んじゃないかという気もした。ちょっとやってみよう。

まずは「伝達性」なのだけれども、私はこれは〈ショック〉ととらえてもいいと思う。たとえばピカソの絵をみたときに、なんかわけがわからないんだけれども、ショックを受ける感じってあったりしますよね。そういうのを「伝達性」といっていいんじゃないかと思うんですよ。たとえば電車に乗っているときにふいに手をにぎられるとか。そういうことです。

で、一艘さんの句なのだが、「鯖缶」から「モアイ像」への飛躍がある。これはちょっと〈ショック〉だと思う。とつぜん「モアイ像」っていわれると、なんだ? ってなる。たとえばこれが、

  ひとときは抹茶その後カモミールティー

とかだったらショックは受けない。お茶が好きなひとなんだなあ、で終わりである。ところが一艘さんの句は「鯖缶」から「モアイ像」へと飛躍した。ここにこの句の〈伝達度〉がある。

じゃあ「共感性」はどうだろう。

  ひとときは殺人その後残虐無道

だったらどうだろう。「殺人」をわれわれはめったなことではしない(ルイス・キャロルが言うようにわれわれは弱い存在だからしてしまうこともあるかもしれない。でも、まあ、しない。倫理に悖るんで)。倫理的に共感できないのではないか。たとえばまた絵の例を出すが、クールベの「世界の起源」という絵がある。絵は女性の裸の下半身でまるまる満たされ、絵のまんなかには女性器が写実的に描かれている。これが〈世界の起源〉という意味はわかる。ショック=伝達度も大きいだろう。しかし、共感できるだろうか。なんでこんなものをこんなていねいに、と思うひともいるのではないだろうか。男性がみるのと、女性がみるのとでは違うだろう。こどものいる女性と、こどものいない女性がみるのもまた違うだろう。

「共感性」はそのひとが〈どこ〉にいるかで異なるのだ。で、一艘さんの句だが、「鯖缶」はたぶんみんなが知っている。で、ほとんどのひとが、たぶん、味を思い出すこともできるだろう。「モアイ像」もたぶんみんな学校で学んだだろう。こうした〈食べ物〉や誰もが知っている〈文化アイコン〉を埋め込んだことがこの句の〈共感度〉になっていると私は思う。もちろん、鯖が嫌いなひとは共感しないかもしれない。でもそれは殺人ほどには強い反感でもないだろう。わたしたちは食べ物に対してそうそう倫理的判断はしないのだから(もちろん、する場合もある。牛が宗教上食べられない国もある)。

現代川柳には食べ物や流通している文化アイコンを埋め込んだ句が多いが、私はそれらを確保することで共感度をあげているんじゃないかと思う。

さいごに「意味性」についてみてみよう。ちなみに「意味性」を絵で例にとれば、ラッセンの絵がいちばんいいと思う。ピカソをみて、「これいったいどんな意味?」と思うひとはいるけれど、ラッセンの絵をみて「意味がわからない」というひとはあんまりいないと思う。もちろん解釈はいろいろあるだろうけれど、まあ素敵でゴージャスなきらきらした風景のなかでイルカがこれでもかと楽しく躍動的に跳ねているのをみて、ここには不幸しかない、と意味をとるひとはあんまりいないだろう。ラッセンの絵はわかりやすいのだ。

で、一艘さんの句。

  ひとときはXその後Y

この構文は、わたしたちは意味がとれる構文である。

  ひとときは悲しいその後でも元気

とか。わたしたちがふだん使える構文だ。でもこのXとYをいじっていくことで、意味性も変化していく。難易度があがるのだ。現代川柳はちょっと容赦なくここに「鯖缶」や「モアイ像」をいれてくる。だから、あまりにもとつぜんすぎて驚くひともいるかもしれない。これ意味わかんないよ、と。でも、ふだんワンダーな世界に暮らしてるひとは、こういうこともあるよね、って思うかもしれない。そういうぶっとんだ世界にひとはときに暮らすことだってある。ある時期は鯖缶ばかり食べていたのに、とつぜんモアイ像に熱中しだしてしまったとか。〈わかろう〉とすれば〈わかる〉ことができる句でもある。

こんなふうに「伝達性」「共感性」「意味性」の三つのレベルで短詩(短いことば)をみてみると、意外にいろんなことがわかる場合があるのではないだろうか。

これはふだんの読書でも使えるはずだ。たとえばシャーロック・ホームズの「バスカヴィル家の犬」を例にとろう。

「伝達性」:えっ、犬が光るの! 魔物なの? なんで! なんかすごい! なんでか知りたい。この事件どうなってんの!

「共感性」:犬、近所歩いてるし、昔飼ってた経験があるから、別にイギリスの犬だからって、なんとなくわかるよ。犬みたことあるし、さわったことあるし。

「意味性」:あっ、そうかあ、こういう理由で犬が光ってたんだ。なるほど。ふんふん。ミステリーだし、日本語の翻訳もあったし、ドラマでもみてたし、わかりやすいなあ。いろんな意味のアプローチができるんだもの。

  白桃の果肉の産毛 卑怯だよ  奈良一艘


          (『おかじょうき』2017年3月号 所収)