2017年6月30日金曜日

続フシギな短詩139[むさし]/柳本々々


  決めました私自身が吹雪きます  むさし

むさしさんの句集『亀裂』を読んでいると〈わたし〉のエネルギー量というものを考える。ひとはどれだけ〈わたし〉のなかにエネルギーをため込むことができるのだろう。

  踊れ踊れ心が吹雪く手が吹雪く  むさし

掲句によれば〈わたし〉は「吹雪」と匹敵するエネルギー量を持っている。決意さえすれば。わたしは自然と同格である。

  止めてくれどんどん人が好きになる  むさし

  俺の指すり抜け俺が落ちて行く  〃

誰かに止めてもらわなければ止まらない加速する「人を好きになる」エネルギー。俺の指をすり抜けていく落下する「俺」エネルギー。この句集タイトル『亀裂』があらわすように、〈わたし〉の「亀裂」からエネルギーが噴き出す。

それは〈わたし〉を取り巻く環境エネルギーも、そうだ。

  率爾ながらあなた文字化けしてますよ  むさし

  ブログの端をダチョウの群れが横切った  〃

「あなた」は「文字化け」し、「ブログの端」を「ダチョウの群れ」が横切る。わたしにも亀裂があるが、わたしの周囲にも亀裂が入り、あちこちからエネルギーがほとばしる。

  眉間から飛び出してゆく戦闘機  むさし

  胃袋がマグマ溜まりになっている  〃

〈わたし〉の身体はもはや〈わたし〉の身体ではない。それはエネルギーの通過点であり溜まり場である。あるときは、わたしの「眉間」が「戦闘機」の空母であり、あるときはわたしの「胃袋」は「マグマ溜まり」となっている。《わたしの身体はわたしに貢献しない》。

  おーいおーいと指紋の渦の真ん中で  むさし

エネルギーをいちばん感じるときってどんなときだろう。それは発熱しているときではないか。つまり、エネルギーが吹き出し、循環しはじめたときだ。

  帽子からはみ出している導火線  むさし

むさしさんの句は、わたしを、周辺を、わたしの身体を、そっとしておかない。エネルギーを循環させるために、ありとあるところに亀裂をはしらせる。そこから思いがけないエネルギーを引き出す。

  空即是色あんたはわたし手を挙げろ  むさし

ところで、わたしたちが人生の最後にエネルギーを噴き出すのはいつだろう。

死ぬとき、だ。

でも、死ぬときにも、エネルギーはわたしたちを忘れない。エネルギーはわたしを忘れないでいてくれる。わたしが死ぬまさにその瞬間、月エネルギーが、わたしを訪れる。

  死ぬときは月を吐くかもしれないな  むさし


          (『亀裂』東奥日報社・2014年 所収)