2017年6月25日日曜日

続フシギな短詩134[囲碁川柳]/柳本々々


  下手だけど桜の下で囲碁を打つ  囲碁川柳

NHK「囲碁フォーカス「ハサまれたら?~小目」」2017年6月25日放送の「囲碁川柳」のコーナーからの一句。

ときどき書いている〈答えは出ないかもしれないけれど書いて考えてみよう〉シリーズ。

不思議なのは、どうして川柳は(短歌も俳句もだが)いろんなものとコネクトする/できるのか、ということだ。

囲碁川柳、シルバー川柳、OL川柳、女子会川柳、オタク川柳、お米川柳、妖怪川柳、ブライダル川柳、節税川柳、プレママ・新米ママあるある川柳、もふもふ川柳、いや、っていうか、なんでもあるのだ。

思い浮かんだ名詞があればそれはすべて「~川柳」とくっつけることができるのだ。

そのうち、短歌川柳俳句川柳という、短歌のあるあるを川柳で詠もうといったものまで飛び出すのではないかと思っているが(ちなみに川柳川柳さんという落語家がおられるのだが「ガーコン」という演題がとても面白い)、どうしてこんなに短詩は言わば〈無敵〉なのだろう。

かつて川柳人の小池正博さんがあるイベントにおいて(たしか)こう言ったことがある。「川柳は近代化に遅れた、というより、近代化できなかった」と。私はここにヒントがある気がする。

川柳が近代化できなかったということはジャンルとして身を立てられなかったということである。明治近代の動力の最大キーワードである〈立身出世〉が川柳はできなかったのだ。

だからNHK短歌やNHK俳句はあっても、NHK川柳は、ない。川柳は、身を立てるほど教育されるべきものではない(と思われている)からだ。

ただそうした未分化性、明治近代を通り越してなお〈赤ちゃん〉でいることができた川柳は、さまざまなものと結びつき、ジャンルをそのつど色変わりさせることができる(出会った人物に即座に同化してしまう人間のフェイクドキュメンタリー映画であるウディ・アレンの『カメレオンマン』を思いだそう。あれは川柳映画でもある)。

以前、福田若之さんがイベントで俳句の困難と川柳の困難の違いはなにか、という質問をたしかされて、私は、NHK俳句は、だいたいみんなの俳句イメージが一致しているからできるのだけれど、もしNHK川柳というものができたときに、川柳イメージはサラリーマン川柳と詩性川柳に大きく分裂しているのでNHK川柳というものをたちあげるとしたら方向性が難しいんじゃないか、そういう違いがあるのではないか、と述べたことがある。

川柳は、もしかしたら、未分化を引き受け、はじめて未分化そのままでジャンルとしてたちあがっていけるものではないかとも思っているのだが、そんなのはいやだ! と声をあげる川柳人もいっぱいいると思う。川柳人だってえらくいたいのだと(もちろんそれはもっともだともおもう)。

思想家のジュリア・クリステヴァは、アブジェクションという、魅力的だがおぞましい未分化なものを排斥する行為を思想としてたちあげたが(ちなみにある俳句の方がクリステヴァのもとで学んでいたことがあると話されていたことがあって私はとても驚いたことがある。大学時代、クリステヴァの本によく勇気づけられていたので)、たとえば牛乳の膜のように主体がはっきりしないものをわたしたちはどこかで憧れながらも遠ざけようとする機制がある。それらを遠ざけ抑圧することによってわたしたちはわたしたちの主体を保つのだ(一度抜けた髪の毛がなんだか不気味に感じられるのはそういう機制があるからだ。わたしたちのものであって・わたしたちのものでないもの)。

しかしなぜ抜けた髪や牛乳の膜のような未分化のものをわたしたちは遠ざけるのか。それは主体と客体がはっきりしないからだ(死体や体液なんかもそう。なにかねばねばぬちゃぬちゃしたもの。だからエイリアンやモンスターなんかもそうだ。ホラー映画なんかはたいていそう。たとえば『リング』の貞子を思いだそう。貞子はかつてはわたしたちだったのに(生者=主体)、いまはあっちにいるひとである(死者=客体)。わたしたちは未分化の貞子をメディアに閉じこめる。それでも貞子はこちらにやってきて、わたしたちの主体を脅かすだろう)。

クリステヴァの考えを通して、未分化かもしれない川柳に近づいてゆくことはできないだろうか。クリステヴァの考え、体液のような記号のどろどろした感じをかんがえることは、わたしは川柳によく合っているような気もしたりするのだが(とくに定型は、クリステヴァのフェノ・テクストに近い気もする。わたしたちはどろどろとかんがえていること(ジェノ・テクスト)を定型という整理された音律(フェノ・テクスト)に落とし込んでいくことで主体化する)。

囲碁川柳から川柳の体液まできた。体液までくることはできたので、今回は、もう、終わりにしようと、おもう(あんまりひととさわやかな日曜の昼に会話しているときに、体液の話しませんよね。おしゃれなランチかなんか食べているときとかに。体液の話は)。

最後にわたしの好きなオタク川柳を。

  デュフフコポォ オウフドプフォ フォカヌポウ  オタク川柳

          (NHK「囲碁フォーカス「ハサまれたら?~小目」」2017年6月 放送)