2015年1月7日水曜日

黄金をたたく 6 [高野万里]  / 北川美美


大の字に虎を鞣しぬ初座敷   高野万里


豪勢な正月の目出たさがある。今になって読むと、その先にはシニカルな作者の視線があるようにみえてくる。

鞣(なめ)された虎が大の字に横たわっている座敷など、ワシントン条約(1975年発効)以降は、存在することもないと思うが、高野万里は実際に見たこと触れたことがあるのだろう。乱獲が多発したので今や虎も絶滅危惧品種となり、現在に於いてそう歓迎される句ではないと思える。

<鞣しぬ>を無視し<虎柄>の絨毯という解釈もできそうかと眺めたが。書いてある以上、無視はできない。大の字に鞣されているのだから、本物の虎の敷物だろう。地位や権力を象徴した虎の乱獲の時代の産物といえる句である。大の字に横たわる鞣された虎はあまりに残酷である。高度成長時代の『華麗なる一族』(1970山崎豊子作)の調度品として出てきそうな風景だが、不法品となった現在は、そのような金持ちを斜めに見るシニカルな視線と解釈できる。

ちなみに、虎・豹柄を好む人の心理は主に恋愛に表現されることが多いが、徐々に相手に近付いて、射程距離に入ったら一気に仕留める。待ちの姿勢ではなく、警戒心を怠らずに自分の方からも近寄ってチャンスが来たら一気に落とす…とある。男性にはどうも不評なようだがヒョウ柄好きな女性は現在も多いようだ。高野万里も生きていればヒョウ柄を身につけるヒョウ柄族になったかもしれない。

秀吉の時代のような豪華絢爛な調度品のある初座敷。この句が収録されている『正午』は表紙、裏表紙、函において全て輝く黄金色の装丁である。虎と黄金色は高野万里を象徴するのかもしれない。その煌びやかさ華やかさの光と影が高野万里に複雑に存在し、大胆で洒脱な句が多く残されている。


高野万里(たかの・まり)は昭和4年生まれ。昭和22年に敗戦により一家で引揚者として満州より帰国されご苦労が多かったと伺っている。俳句を始めたのは昭和47年とあるので、すでに40を超えた年齢であったことは多くの作句者の励みになる。長谷川秋子に感銘し「水明」に入会。山本紫黄、三橋敏雄、大高弘達に啓発された。筆者は紫黄から依頼を受け病に伏せる高野万里さんを励まして欲しいと俳句に纏わること、事務的な内容も含めたびたび手紙をお送りした。2007年の紫黄の訃報を知ったかのように、万里さんも同年しずかに生涯を閉じられた。

窓に蝶けふ東京の巴里祭  『正午』
三寒四温逢ひたいダイヤル記憶せり
戦前戦後・正午・服部時計店
ボタン押す人間の指冬の雲
凩や石は石でも五百羅漢
枯れ色の暮れてしまひし枯野かな
生ごみと同じ出口の夜業明け


(『正午』人間の科学社1991所収)