2015年1月24日土曜日

黄金をたたく9 [筑紫磐井]  / 北川美美


あつものに柚子の香したたる朝がれひ  筑紫磐井


帝(みかど)の御食事(朝がれひ)に出される汁物に柚子の香りがする。『源氏物語』『土佐日記』『枕草子』に代表される王朝文学を想う。<あつもの>、<朝がれひ>は、文献でしか解りえない世界に想像がふくらむ。

たとえば、<あつもの>は、「羹に懲りて膾を吹く」のそれであるが、平安王朝の食卓が想像できる。「羹」であれば、肉(イノシシ、ウサギなどのジビエ的野生種)か魚(鯛やヒラメや貝類)のスープストックも可能だが平仮名の<あつもの>であれば、マクロビオティック的な菜食主義の昆布だしが柚子との相性がよいだろう…などなど。

更に<朝がれひ>は天皇が儀式的な食事の他に、朝夕2回、簡略化した食事をとることを意味するが<柚子の香>で誰ぞや思い出す女性(ひと)でもいらしたのだろうか…柚子のアロマの効能は、落ち込んだ気持ちを前向きにしてくれる効果があるので、やはり昨夜ことなどミカドは思い出していらっしゃるのだろうか…。 

そのようなことを考えてしまうのもこれが俳句という俗なのだから自然な流れである。俗の原野を雅が流れているのである。

俳諧とは、片足を雅に、片足を俗にかけた表現」(@小西甚一『俳句の世界』 講談社学術文庫)とあるが、筑紫氏の作品は、第一句集『野干』より一貫してその両刀にあることを想う。

舞台設定を「今」という時点から歴史を眺望し、中世の一部階級人しか知りえない、あるいは歴史的用語として伝えられてきた言葉を、蓮歌、俳諧、漢文でもなく、俳諧の発句として継承されつづけている俳句に組み込んだ。その歴史の中においてその方法(=メソッド)は前衛である。この筑紫メソッドを取り入れたと思えるのが仇討クラシック『曽我兄弟』を題材とした高山れおな「俳諧曽我」(『俳諧曽我』収録)というように見えてくる。 

歴史的ロジックを交差させつつ、俳句の芸術とは何か、を考える。


梅とびとび職(しき)の次第の江家(がうげ)かな   『野干』
狐火を自在に操りて陰陽師



<『野干』1989年東京四季出版所収>