震災時の対応にまつわる訴訟が多い。
おつかあはもう帰んねハ 甘栗の殻の嵩みに爪は黒ずむ 高木佳子
この短歌を目にしたとき、表記中の「ハ」に文字通りはっとした。作者は福島県いわき市から、個人誌「壜」を発行している歌人。その地の言葉を読み込んだ歌がその地の現状をより忠実に伝えているようで、俳句にはない空気感の表現にいつも驚かされる。しかし、この歌にある「ハ」の表記は、なんとなく江戸時代の庶民の文章などに見られる係助詞の「は」の表記と相通じるような印象を受けたのだった。(表記の仕方が似ているという話で、表記される言葉は係助詞と終助詞?らしきものとの違いはある。たとえば、安政6年にジョン万次郎が出版した『英米対話捷径』には、「I am very well」の訳を「わたくし ハ はなはた こころよい」と記している。)
ネット界隈の検索や知人に聞いてみたところ、この福島で語られる言葉の語尾につく「~は」の表記は、宮城県仙南地方では「~わ」であるらしい。現在、LINEなどでも中・高校生が語尾で使っていて、そう表記されているそうだ。おそらく、福島では歴史的かなづかいの「は」が表記に残っていて、宮城では同じ言葉ながら現代的かなづかいおよび発音に合わせて「わ」と表記するようになっているのか。宮城の方によると、完了形のような使用方法で標準語の完了形より短くて便利、だそうだが、これも古来、奈良京都あたりから全国へ言葉が伝播していったものが、ところどころで時代の変遷による変化を受けずに残ったものではないか。古語辞典には、終助詞としての「は」(感動・詠嘆の意を表す。)が掲載されているが、各地に伝播し時を経て使用されていく中で、用法に変化が生じ、完了形としての意味を持つようになったか、感動・詠嘆には完了的要素があるためそこだけを増幅して使われるようになったものか。
また沖縄の方言、文末に接尾辞的につけて語調を整える「ハァ」と同様という説もあった。とすれば、やはり各地の方言と見られている言葉が、むしろ平安時代などに都で使われていた古式ゆかしい日本語由来であるという近年の考え方と同じく、都付近からほぼ同心円状に伝播していった結果、時代に淘汰されずに各地に残った言葉なのだろう。
試みに京都から福島および宮城までの距離をみると、およそ700から800キロ。京都から九州までが800から900キロ、沖縄はもう少し遠い。が、これは現代の陸上交通を主とする換算なので、明治以前の海上、水運による交通としての距離はほぼ同じくらいになるのではないか。
そのほかにも、福島付近で使われる語尾の「だばい」は、関東・東北地方で多く使われる「だべ」「だっぺ」「だんべ」「だべす」と同様、助動詞「べし」の転訛であり、「であるべき」→「でぁんべい」→「だんべえ」→「だべ」「だばい」と変化していったとも考えられるそうだ。
短歌の話から全くそれてしまったのだが、もうひとつ興味深いものを見つけたので。福島の言葉で「恥ずかしい」ことを、「しょーし」というそうだが、これって、歌舞伎や文楽によくセリフで出てくる「笑止千万!」の「笑止」ですよね。そうしたものがとても好きな筆者としては、なんだかとても嬉しい。
(以上すべて憶測と推測に基づくもので、学術的根拠はないことを記しておきます。)
波はけふも白く尖りて 責めらるるべきは生者、だつたのだらうか 高木佳子
憤りが人を生かすといふこゑを読点なしに読める危うさ
必ずしも海へ注がずよどみまたためらひ、――ほら砂礫のあたり
いづくにも雨は駆け足(ギャロップ) 音なして近づく馬のけはひをもちて
majorityとふ繁りの暗さ近づけば鶸の奴らが繁りより逃ぐ
(「壜」#08 2014,12)