空蟬のふんばつて居て壊はれけり 前田普羅
蟬の存在自体儚いのに、その上どうしてウツセミなんて哀しい響の名前をつけたのだろう。
そんな空蟬そのものは意外にしぶとく、羽化するために出た地上で、ここと決めた枝や茎や葉にしがみついた姿のままいくつも季節を送る。分身である蟬が鳴いている間も、それが命尽きて乾び、地上に落ちた翅や銅が吹かれどこかへ紛れてしまったその後も、割れた背中から雨が入ったり、風に吹かれたり、埃まみれになって双眼を濁らせたり、日の光に輝いたり、霜を纏ったりしながらそこに在る。
ふんばって居て壊れたのは空蟬だろうか。散文であればそう捉えるのが普通だろう。だがそもそも踏ん張ったのは蟬の幼虫であって空蟬ではないし、命のないものが自らの動作によって壊れるはずもない。ここには俳句独特の切れという仕掛がある。「空蟬の」の後の軽い切れの後の虚。空蟬の、その踏ん張って見える容に己の気持、あるいは誰かを重ねたのだ。空っぽになって、それでも踏ん張っていたのに壊れてしまった何か、あるいは誰か。
そして、目の前の空蟬が壊れる。ガラガラと、パラパラと落ちる欠片を、不思議と冷静に見ている自分。音のない音をたてて落ちた、透明な、琥珀色のカケラ。
「わが俳句は、俳句のためにあらず、更に高く深きものへの階段に過ぎず」と云へる大正元年頃の考へは、今日なほ心の大部分を占むる考へなり、こは俳句をいやしみたる意味にあらで、俳句を尊貴なる手段となしたるに過ぎず。
(『新訂 普羅句集』小伝 より)
第二句集となる『新訂 普羅句集』の小伝で、俳句を手段に過ぎないと述べている前田普羅は、この時すでに職を辞め、東京を離れて北陸に移り、俳句一筋の人生に入っていた。普羅の一徹な生き方に相反して、また『新訂 普羅句集』の集中に於いても、フラジャイルな掲句は異色だ。しかし今読み返してみたとき他のどの句でもなくこの句に立ち止まってしまうのは、今を生きる私たちの多くが、心の奥底にこの空蟬のカケラを拾うことができるからではないか。
春更けて諸鳥啼くや雲の上
花を見し面を闇に打たせけり
人殺ろす我かも知らず飛ぶ螢
新涼や豆腐驚く唐辛
秋出水乾かんとして花赤し
しかじかと日を吸ふ柿の静かな
病む人の足袋白々とはきにけり
立山のかぶさる町や水を打つ
湖に夏草を刈り落しけり
探梅の人が覗きて井は古りぬ
(『新訂 普羅句集』昭和9年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)