曾根崎の水照らす灯や蚊喰鳥
曾根崎は大阪・梅田の繁華街。近松門左衛門の「曾根崎心中」で有名な「お初天神」がある。お初天神は、正式には露天神社(つゆのてんじんしゃ)といい、上古は大阪湾に浮かぶ小島(曾根崎のあたりはもともと海であり、河口の砂が堆積して陸となった)に「住吉須牟地曾根ノ神」を祀ったのが初め。現在の祭神は、少名彦大神、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神及び天神様即ち菅原公であって、お初と徳兵衛は祭神でも何でもない。二人は、天神の森で心中したのである。ところが、今では専ら縁結びの神社と化しているところが面白い。同じ近松の「心中天網島」に出てくる小春は、曾根崎新地の遊女である。江戸の頃は、淀川河口の瘦せた土地であった。明治以降、大阪駅が出来たのをきっかけに、繁華街として栄えた。
私にとっては子供の頃から馴染みの地域だが、曾根崎のあたりは不思議なところである。曾根崎警察署の傍からお初天神商店街に入ると、かなり広い道なのだが、なにもかも共存しているのだ。ゲームセンターがあり、薬屋があり、普通の飲食店や商店があり、キャバクラがあり、バーと一杯飲み屋があり、大人のおもちゃ屋があり、ペットショップがある。その果てにお初天神がある。曾根崎の向こうは、新御堂筋を隔ててラブホテル街があり、老松町の骨董街があり、更に裁判所がある。その向こうは堂島川と中之島だ。大阪の中心地は昔から何もかもごちゃごちゃで、職業や店種によって区分されていない。渾沌の中で、店も人も本音をさらけ出して生きている。
「曾根崎の水」とあるが、江戸の頃はいざ知らず、今、あのあたりに池や川があるわけではない。一番近い堂島川からも相当速足で歩いて二十分はかかるだろう。だから、掲句の水は単なる水ではなく、水に象徴される濁世の様々な事象である。
「曾根崎の水」といわれれば、大阪の誰でも思いつくのは、水商売の「水」である。ここで、中国の占術において水を表わす「坎」の象意に照らせば、水とは、低きに流れ、窪みに溜り、地の底を這い、流れを生じ、他の流れと交わりを結び、艱難辛苦の果に、遂には大海と化す。従って、「坎」の象意は、流動であり、浸透であり、溶解であり、更には遊蕩、煩悶、情交、秘密、疑惑、憂愁、暗黒、奸智、隠匿、敗北、放浪、零落などを表わす。人物では、智者、悪人、淫婦、遊女、病人、死者、服喪者など。人体では、陰部、子宮、尿道、血液、汗、涙、精液、眼球、傷痕など。職業では、船舶業、醸造業等、水に関わる全般から始まり、更に酒屋、水商売、風俗業など。動物ならば、豚、馬、狐、モグラ、水鳥、生魚類、螢、水に関係する生物一切、更に面白いことに蝙蝠も「坎」に属する生き物である。
掲句では、蝙蝠と言わず、「蚊喰鳥」を使っている。その方が、江戸時代の上方情緒が匂うからであろう。(蚊は水に生まれ、血液を吸って生きるから、これもまた「坎」に属する。)そして、曾根崎は上古、海であった。即ち、「坎」の終着である。掲句は「坎」の象意の集合を、灯が照らしているのである。
曾根崎のあたりで蝙蝠が飛ぶところといえば、歓楽街の中心でありながら広い境内を持つ「お初天神」以外考えられぬから、掲句は当然、曾根崎心中を意識している。曾根崎心中に語られる遊蕩、遊女、情交、秘密、煩悶、奸智、零落、これらは全て水の象意であり、従って掲句の水を照らす灯とは、今も盛んなる水商売の灯であり、同時にお初天神の献灯でもあり、曾根崎心中という物語を照らす灯でもある。この灯は、水商売の町に掲げられ、奸智と秘密と情交と煩悶が火蛾の如く群れ集う灯であると同時に、神に掲げられ、神を照らす灯でもある。醤油屋(醸造業であり、坎の象意)の手代・徳兵衛と遊女・お初の心中の物語、これは金銭と恋情の絡みが、坎の極み、死へと至り、死を超える恋が数百年を経て、神を照らす灯へと昇華したのである。大阪は水の都といわれる。水の象意に満ちた大阪の、その物語を照らす灯に、作者は大阪の哀しみを照らさんとする。
平成十五年作。