切籠左に廻りつくせば又右に 西山泊雲
切籠は秋の季題だが、季題別に編まれた『泊雲句集』で掲句は夏の部に収められている。西山泊雲は丹波竹田村(現在の兵庫県丹波市市島町)の出なので盂蘭盆会は旧盆で行われたと思うが、この句集の千句余りの季題選別はさほど厳密ではない。
この句の切籠はどんな形だろう。即座に思い浮かんだのは廻り燈籠で、岐阜提灯や絵燈籠、走馬灯の類。燈籠が灯っていて中の影絵が廻っているもの。だが仮にそうであれば一定方向に廻り続けているはずで「廻りつくせば又右に」という部分がどうもしっくりこない。そもそもそれらを切籠と言わないのではと大歳時記を調べたががはっきりせず、山本健吉の『基本季語五○○選』に当ったところ、「燈籠の枠の角を落として切子形に作り、燈籠の下に長い白紙をさげたものを、切子燈籠、略して切子と言う。」として<雨車軸をながすが如く切子かな 万太郎><しだり尾の切子さげ来し萩の中 碧童>などの例句を挙げている。
『泊雲句集』には切籠の句は一句のみ。<燈籠提げて人や穂草を泳ぎ来る><雨だれのしぶき明かに燈籠かな>のあとに掲句が続くのだが、先に挙げた万太郎と碧童の句とモチーフが似ている。この燈籠は切子燈籠のことか。
切籠といえば折口信夫の説も興味深い。一部分を引く。
面白いのは、彼の盂蘭盆の切籠燈籠である。其名称の起りに就ては様々な説はあるが、切籠はやはり単に切り籠で、籠の最(もつとも)想化せられたものといふべく、其幾何学的の構造は、決して偶然の思ひつきではあるまい。盂蘭盆供燈や目籠の習慣を参酌して見て、其処に始めて其起原の暗示を捉へ得る。 (中略)
要するに、切籠の枠は髯籠の目を表し、垂れた紙は、其髯の符号化した物である。切籠・折掛・高燈籠を立てた上に、門火を焚くのは、真に蛇足の感はあるが、地方によつては魂送りの節、三昧まで切籠共々、精霊を誘ひ出して、これを墓前に懸けて戻る風もある。かのお露の乳母が提げて来た牡丹燈籠もこれなのだ。「畦道や切籠燈籠に行き逢ひぬ」といふ古句は、かうした場合を言うたものであらう。
(折口信夫『盆踊りと祭屋台と』より)
なるほど切籠とは、諸説はあるが角を落とした幾何学的な構造をしていて、紙を垂らした燈籠であり、門口に掛けられてあるものや、魂迎のときに手に提げていくものも含めるようだ。何れにしても精霊の依代であり、燈籠の中の絵が回っているという解釈は見当違いだった。むしろ切籠そのものが廻っているのだ。
西山泊雲は高濱虚子の説く客観写生の忠実な信奉者であった。四Sが登場するまでの大正期、幾度も「ホトトギス」の巻頭を独占し「泊雲時代」と称される時期があった「ホトトギス」前期の代表的な作家である。
掲句を含む七句で泊雲は大正八年九月号の「ホトトギス」の巻頭を取っている。全てが盂蘭盆の句ではなく梅雨の句があったり鳳仙花の句があったりいろいろなのだが、<雨だれのしぶき明かに燈籠かな>と並んでいることを鑑みれば、この切籠を廻しているのはかなり激しい風雨とも考えられる。前句と関わりなしとすれば、或いは切籠を手に提げている人、例えば子どもが魂迎の道々戯れにくるくると廻しているとも読める。いずれにしても、左に廻りつくせば又右に、右に廻りつくせば今度は左に、その規則的な動きをただ客観写生しただけの掲句に、読むほどに惹きつけられていくのは誠に不思議である。精霊の力か。はたまた言霊の力か。
梅雨の蔓人々踏みて通りけり
燈籠や瀬杭にとまりとまり流る
手に足に逆まく水や簗つくる
蚊帳裾を色はみ出たる夏布団
花入れて数にも見ゆる金魚かな
朝顔の大輪や葉に狭められ
胡麻花を破りて蜂の臀(ゐしき)かな
蟷螂壁に白日濁る野分かな
露の径行きすぎし人呼びとむる
芋虫の糞の太さや朝の雨
空深く消え入る梢や雪月夜
焚火の輪解けて大工と左官かな
見て居れば石が千鳥となりてとぶ
(『泊雲句集』昭和9年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)