生国を沖に捨て来し海月かな
クラゲは目が無いから暗いという意で「暗(くら)げ」とする説がある。実際には傘の周りに感覚器官があり、明暗や方向くらいは判別できるらしい。海の月と書くのは、海中にいる時、月のようだからという。一方、水の母と書くのは、クラゲは目が無いから小蝦を目として用い、蝦はクラゲに従うゆえに、蝦を子に、クラゲを母に見立てての事だという。或いは、クラゲは死ぬと水に還るからだともいう。
生国を捨てて漂っているクラゲは、できれば海の月のように仄かに光っていて欲しい、という思いから、作者は「海月」と表記したのであろう。季語を作者自身と解するなら、流離の孤独が、波に霞みつつ映る月の如く光っているのである。
クラゲは受精卵が海中を漂い、それがやがてプラヌラという幼生となり、さらに海底に付着して、イソギンチャク状のポリプとなる。そのポリプが幾つもの節を持つストロビラという形態になり、節が幾つもの傘を積み重ねたような形になると、その傘が一枚一枚分離して、俗にいうクラゲの形となる。それならクラゲの生国は、一般には海底ということになる。
掲句では沖とあるから、沖の海底となると、これは日本で言えば、根の国、黄泉であろう。スサノオノミコトが総べるのは根の国であるが、スサノオは海神でもあることから、沖にも黄泉を設定するのは古代の神話観の一つである。
(ここで興味深いのは、クラゲの寿命は数か月から長くとも半年であるが、クラゲの元となるポリプは環境が適切な限り、不死に近いという事である。即ち、海底の根の国におけるクラゲのいわば「根」は不死なのだ。)
熊野を隠国(こもりく)、死の国と呼ぶならば、紀伊半島南部から広がる海は浄土へ赴く海路であろう。補陀落渡海も思い出される。
そうなると、掲句に相応しい舞台は熊野から見はるかす太平洋であろうし、掲句の源を作者の師系に探るなら、藤田湘子の「水母より西へ行かむと思ひしのみ」である。西は西方浄土であり、湘子が胸中に試みるのは補陀落渡海であろう。
掲句のクラゲは沖という根の国の生れであって、沖を捨てて月のように漂いつつ、恐らく陸、生者の国を目指すのである。体の成分のほとんどが水であるクラゲの形態は、例えるなら、まだ魂である状態であろうか。となると、掲句は転生の一場面を詠ったものと解する事も出来る。
鷹平成26年9月号。