-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
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2017年5月26日金曜日
続フシギな短詩120[岡村知昭]/柳本々々
コントロール下の夕虹へ来てください 岡村知昭
現代俳句協会青年部のイベントで岡村知昭さんの句集『然るべく』を担当された橋本直さんは、この句集の「第四章 タンク」は圧倒的に変だと話されていた。
たとえば「第四章 タンク」にはこんな句がある。
痒くなりタンクのねじの弛みだす 岡村知昭
橋本さんは岡村句集に頻出する構文「AなのにB」を指摘していたが、たとえばこの句で言えば、「タンクなのに痒い」ということが言える。タンクなのに痒くなってしまいねじが弛みだすのだ。しかし、この事態を、どうとらえればよいのか。
だから、これは意味論というよりは構造的にこう捉えるしかない。「AなのにB」なんだ、と。
たとえば、掲句も第四章のものだ。
夕虹がコントロールされている。そのコントロールされた夕虹のもとへ来てください、という句。しかしなぜ「虹なのにコントロールされているんだ」ということになる。これもこう言うふうにも言える。「AなのにB」なんだと。
私は岡村さんと川柳のイベントで何度もお会いするのだが、岡村さんは川柳人でもある。しかしその前に、私が岡村さんを知ったのは、山田航さんが書かれていた岡村さんの短歌の鑑賞文によってだった。歌人としての岡村さん。
つまり、岡村さんはさまざまな短詩を越境しながら、〈ここ〉にたどりついている。かゆいタンクやコントロールレインボーという〈ここ〉に(注1)。
【注1:岡村句集の帯文には歩くチューリップから岡村さんのシルエットまでの〈進化論的イラスト〉が掲載されている。彼は〈ここ〉までさまざまな形態をとりながらやってきたひとである。】
この「AなのにB」というのは実は現代川柳の枠組みに慣れていると理解しやすい。小池正博は川柳は〈断言の文体〉だと述べたが、「AなのにB」、痒いのにタンク、虹なのにコントロール、などの「AなのにB」は〈断言の文体〉になる。たとえば、
走りたい逢いたい痛い人体図 きゅういち
(『ほぼむほん』川柳カード、2014年)
きゅういちさんの川柳、「人体図なのに走りたい/逢いたい/痛い」という「AなのにB」構文である。だから橋本さんの指摘した岡村構文を現代川柳にあてはまると、実はけっこうな現代川柳が読み解けるのではないかとも思う。そしてこのときわかるのは、現代川柳とは意味論的問題なのではなく、文体論的問題なのではないかということだ(注2)。
【注2:ちなみに最近浅沼璞さんの『俳句・連句REMIX』所収の浅沼さんの連句の観点から書かれた小池正博論を読んでいて思ったのだが小池正博の川柳は、文体論と意味論を接続していく試みだったのかもしれない。小池正博が助詞で語られることが多い川柳人でありながら(文体論)、小池正博自身は創作態度として「詩的飛躍」をめざしているとかつて語っていたのは(意味論)、そういうところが多いように思われる。小池正博という川柳人は私は多面体の肖像を持っているような気がして、岡村知昭句集の多面性を考えながらも少しそんなことも思ったりした。】
ただ岡村句集は、川柳の句集ではない。俳句の句集である。
タンクへと飛んでいかない頭痛かな 岡村知昭
のように「かな」の切れ字も入っている。だから、構文的エネルギーを発しながらも、逆にジャンルとジャンルを掛け合わせつつそこからズレていく反エネルギーのようなものも同時に持ち合わせている。まとまるちからと、ずれるちから。
橋本直さんは、岡村句集のイメージカラーはピンクだと語られていた。それはいい意味で無責任なんだと。
そのときこの句集タイトル『然るべく』の意味も効いてくるのではないか。
「然るべく」とは、「適当に、よいように」という意味だ。「適当に、よいように、然るべく」読んでください、と句集はタイトルによってベクトル付けられている。しかし、その〈適当さ〉〈然るべき在り方〉というのは読者が〈どこ〉から読むかによって変わってもくるだろう。しかもジャンルを練り歩く岡村さんにはさまざまな位置性の読者がいる(注3)。
【注3:わたしもその読者のひとりです。わたしのここから読んでいます】
だとしたら〈然るべき〉読者、〈然るべき〉位置性というのは、どこにあるのだろう。短詩を読むときの、越境する短詩人が〈然るべく〉書いた短詩を〈然るべく〉読むときの位置性は。そしてその評はどのように〈然るべく〉書かれるべき、語られるべきなのだろう。
この句集の「第六章 見物」は語る主体があからさまにどんどん去勢されていくフシギな章だ。この最後の章を読んでいると、〈然るべく〉できなければ〈然るべく〉くじけるのもありだよ、とも私には言っているように思われる。つまり、
然るべく生きるべきなのに、然るべく生きられない。
これもまた「AなのにB」構文だと、わたしは、そう、かんがえる。泣いていいんだ(注4)。
【注4:ついに泣き三連休の交差点 岡村知昭】
(「タンク」『然るべく』草原詩社・2016年 所収)