どうしても見えぬ雲雀が鳴いてをり 山口青邨
雲雀が鳴いている。離れた場所からもそれとわかる声だ。
どこだろう。空のどこか。鳴き声は続いている。空を仰ぐ。雲の窪み。雲の切れ間。空の穴。もっと高いところ。ずっと高いところ。
一面の空の中の、ただ一点を探すだけ。声はこんなにも澄み切っているのに、どうしても姿が見えない。羽ばたきは止まらないのだろうか。その声はますます強く高らかで、堂々としていてまるで空を支配しているようだ。雲雀より大きい私が声の限りに叫んでも、絶対に雲雀には届かない。けれど私より数十倍も小さな雲雀の声は私を貫き、草をくすぐり、風に乗り、森へ川へ野へ町へ響き渡る。この力強い声の主を見たい。降りて来て姿を見せて欲しい、と思う。
「どうしても見えぬ」は思いつきで書いた言葉ではなかろう。一羽の雲雀に集中し、耳を澄まし、眼を凝らすことで迸り出た言葉だ。抑えきれない心の昂りだ。どうしようもないもどかしさだ。
『雑草園』は山口青邨の第一句集である。昭和22年に<菫濃く雑草園と人はいふ>という句がある。青邨の庭にはいろいろな植物があり、青邨はそれらを愛で自らその庭を「雑草園」と称した。杉並区にあった雑草園は青邨の死後、自宅(三艸書屋)と共に故郷みちのくの岩手県北上市の日本現代詩歌文学館に移築されている。
青邨句の特徴を一言で表すならば融通無碍。根っからの学者肌で好奇心も探求心も強く、本質を摑むまで凝視を止めず、少年のように感動し、その震える心で何にも捉われず自由に詠んだ。時に突拍子もない句も作るので、だんだん玉石混交度が増すのだがその特徴はこの句集ではまだあまり見られない。特に海外詠の先駆者としての秀句は第二句集『雪国』を待つことになる。しかしながら『雑草園』も佳句が多い。久しぶりに手にして、そう改めて感じた。
天近く畑打つ人や奥吉野
維好日牡丹の客の重りぬ
ひもとける金槐集のきららかな
をみなへし又きちかうと折りすすむ
芒振り新宿駅で別れけり
連翹の縄をほどけば八方に
やがてまた木犀の香に遠ざかる
仲秋や花園のものみな高し
枯蔓に残つてゐたる種大事
吸入の妻が口開け阿呆らしや
子供等に夜が来れり遠蛙
河骨を見てゐる顔がうつりけり
はたかれて黴飛んでゆく天気かな
祖母山も傾山も夕立かな
香取より鹿島はさびし木の実落つ
人それぞれ書を読んでゐる良夜かな
本を読む菜の花明り本にあり
(『雑草園』昭和9年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)