2015年5月19日火曜日

今日の小川軽舟 42 / 竹岡一郎



魚僧と化(け)し毒流し諭しけり  


民話を詠ったもの。「坊さんにばけたいわな」という題で、松谷みよ子の「日本の伝説」第4巻(講談社、昭和45年)に収録されている。私は子供の頃、全5巻のこの本ばかり読んでいたから、よく覚えている。丸木位里・丸木俊の暗い彩りの挿絵がなんとも切なく怖ろしく、その美しい恐ろしさに幾度慰められたか分らない。

南会津、水無川の上流に五人の樵がいた。根流しをしようということになり、準備を始める。山椒の木の皮を剝ぎ、焼灰と一緒に鍋で煮る。魚にとっては猛毒で、淵に流すと、皆浮いてくる。毒の煮えたぎる鍋を囲んで、男たちが飯にしようと黍団子を出していると、一人の坊さんが現れる。青く光る眼で、男たちを見据え、根流しは小魚まで根絶やしになるから止めろ、と言う。男たちは坊さんの話を受け入れ、黍団子を差し出す。坊さんは仰向いて、ただ一口に呑み込むのだが、その呑み方が、どうもおかしい。人の常の食い方ではない。坊さんは男たちが聞き分けてくれたことを喜んで去るのだが、男たちは結局、根流しをする。浮いて来る魚を手づかみで取れるだけ取ると、欲の出た男たちは、さらに上流で根流しをする。底無しのような淵に流すと、やはり面白いように魚たちは浮き始め、とうとう大人の背丈ほどもある大きな岩魚が浮き上がる。男たちは喜び勇んで、大岩魚を引き揚げ、さて、その白い腹を裂くと中から黍団子が転がり出る。大岩魚の目が青白く光って男たちを睨み、それがさっきの坊さんの目だと気付いた時には、一人、また一人、気が狂ったようになって息絶える。

同じ話は、「日本の民話 3 福島篇 第一集、第二集」(未来社、昭和49年)にも、「いわなの怪」として収録されている。こちらはもう少し詳しく、会津田島駅から東南の水無川沿い、山あいの角木(すまき)なる村落の話と。男たちの生業は記されておらず、ただ「男たち」とのみ。また、毒流しの材料は、山椒の木皮、樒の実、蓼などをつぶしたもの。僧が食べるのは、黒い黍団子と栗飯。大岩魚は村に持って帰ってから腹を裂いたとあり、死んだのは親分格の顎髭の男。残りの者は気が狂い、その村では長く岩魚を獲らなくなったという。
この民話が福島に伝わることを、作者が意識して作ったとすれば、毒流しは原発事故の暗喩であろうか。

句のリズムは畳み掛けるような、妙な緊迫感がある。次々に三度発せられる「し」が、句の速度を高めているが、「し」を「死」と読むならば、先ず魚たちの死、次にヌシである大岩魚の死、最後に男たちの死だ。「けり」が良く利いているのは、物語の結末を暗示しているからだろうか。「化し」に「け」とルビを振ったのは、変化(へんげ)、化生(けしょう)の意を強調するためもあろうが、下五を〆る「けり」と韻を踏ませるためもある。

大岩魚が坊さんに化けるのは、因果応報をその姿で説いているのだ。民話では山椒の毒流しであったから、当事者たちの死亡だけで済んでいる。

この民話から数百年経って、中川信夫の映画「地獄」(1960年、新東宝)では、こんなやり取りが出てくる。どんな毒を使ったか知らないが、川に毒を流して捕った魚を売りつける男と、養老院「天上園」の院長、そして養老院付きの医者の会話だ。

医者「大丈夫だろうな」 
男「先生、とにかく安いんですから。兎も角、腐っちゃいませんよ」 
医者「集団中毒事件があったら困るからな」 
院長「死んだって知ったこっちゃねえ。どうせあの年寄りたちに食わすんだ。俺たちが食うわけじゃねえんだ」 
男「旦那ぁ。太っ腹ですよぅ」 
(一同、笑い)
その結果、養老院の老人全員、悶死する。

中川信夫の映画から更に五十年経って、原発事故である。ヌシである大岩魚は、いまや誰に向かって仏道を説けば良いのだろう。



「鷹」平成26年9月号。