棄てらるる身とも思はず夏羽織 吉井勇
どちらかといえば文人俳句、とカテゴライズされる吉井勇の句は、単純な描写や取り合わせの手法と見えながら、戯曲的な趣向が垣間見えて何か惹かれるものが多い。今日の句も、人事句によくある心情や箴言との季語の取り合わせの句のひとつ、と一読思ってしまいがちだが、「棄てらるる」の語は、訪問先でさっと脱ぎ捨てられる「羽織」からそれを着た女性の姿をひきだす。恋しい人に逢いに、下ろしたての羽織で出かけていく女性の美しさや心弾むような足取りが、恋が終わればその後に棄てられてしまうだろう相手との関係性を暗示して。「夏羽織」の、薄物の透ける美しさがウスバカゲロウやクサカゲロウをも連想させ、また、夏羽織という、寒暖に絶対必要ではなくお洒落のためにある衣服が、対等な付き合いではない男女関係をもほのめかしている。吉井勇の短歌のニュアンスをほんのりとまとって、哀しい美しさのある句だ。
十一、二歳から短歌に親しんだ勇は、東京府立第一中学校(同級生に谷崎潤一郎がいた)を経て私立中学に入り、仲間を得て俳句も作るようになったという。十六歳の時の作品、
色褪せし口にまゐらす葡萄かな (『吉井勇研究』木俣修 番町書房 1978)
も、みずみずしい葡萄と色あせた唇の対比、声にしたときの言葉の滑らかさにうならされる。すでに創作としての世界をもっているようで、深く自省しつつ現代のこの年頃の俳句との相違を感じてしまう。京の街を訪れれば、「かにかくに」の歌碑を一度は見たくなり、冬ならばそのそばの流れに浮く鴛鴦のつがいに反語的にまたその歌人の姿を思う、その残したものが広く知られつつも大衆化に埋没せず今も人々を魅了する不思議。谷崎潤一郎が故人を偲んで、「なつかしい詩人、温雅な旅人、久しく忘れていながら不図想い起こしてその一首か二首を唱えてみたくなる歌人、吉井勇にもそんな味わいがある」と評したというが、以下の句にもそうした世界が広がって、歌に見られるエッセンスが立ち上るのだ。
ゆきずりの恋も浪華の朧かな
さびしさや汐干の留守の仕立物
野の果に港ありけりかへる雁
はからずも焼野に出づと日記かな
かきわりやおまつりぬけの昨日今日
球突の球の音遠し釣忍
極道に生れて河豚のうまさかな
をしどりやここに年古る池一つ
華奢(かさ)のはて遊びのはての炬燵かな
七草や派手な暮しも芝居もの
かにかくに毛毬に重き袂かな
片恋の手毬もつかずありにけり
残雪や悲劇を運ぶ橇の鈴
若水の酔ざめの水を汲みにけり
濡髪と云ふ酒の名も秋寒し
いつとなく更けし獺月夜かな
(『吉井勇全集』第八巻 番町書房 s39)
「告別式は十一月三十日建仁寺の僧堂で行なわれた。少し早めにでかけた私は、門を入った所で水谷八重子さんの帰りに会ったが、驚いたことに式場まで数百メートルの両側には喪服の祇園関係の女性がぎっしりと立ち並んでいた。どぎまぎした私は顔を伏せて進んだが」
(『吉井勇歌がたみ 京都』 宝文館出版 s41 より臨終にたちあった医師青柳安誠の文)
(余談ながら「余瓶居に高濱虚子、同年尾、星野立子氏等を迎へたるとき」と前書きのある、「句の父と句の娘ゐて柿の秋」という句もある。)