片腕を忘れし卓に石榴の実 米岡隆文
ミロのヴィーナスのごとく、欠損の表現には「かつてあったものの存在」をどうしても思わざるを得ない。「忘れし」の表現からは、「卓」が「誰かの片腕」の質感を忘れているとも読めると同時に、作中主体、あるいは「主体の思う誰か」が「片腕」を忘れている、と読むこともできる。石榴の実は、「露人ワシコフ叫びて石榴打ち落とす 三鬼」など何らかの象徴性を想定することもできれば、無意味な二物衝撃とも捉えられる。石榴の側に、片腕の幻影を見る。作者の狙いとは違うかもしれないが、失われてしまった片腕がいとおしい。
『藍』2016年1月号より