2017年8月29日火曜日

続フシギな短詩184[茨木のり子]/柳本々々


  わたしが一番きれいだったとき
  街々はがらがら崩れていって
  とんでもないところから
  青空なんかが見えたりした

   (……)

  だから決めた できれば長生きすることに
  年とってから凄く美しい絵を描いた
  フランスのルオー爺さんのように
                ね
      茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」

「わたしが一番きれいだったとき」なはずなのにその「わたしが一番きれいだったとき」がとうとつに不可避の外部の力によって崩壊させられたとき、「わたし」はどんな言葉に出あうのだろう。

昔からこの詩を読むたびにとても不思議だったのが、最後の行のとっても長い空き(アキ)の空間だった。どうして、

  フランスのルオー爺さんのようにね

ではなくて、

  フランスのルオー爺さんのように
                ね

と、「ように」と「ね」の間にこんなにもアキをつくらなければならないのだろうか。

この詩を、〈空き〉に注目してみると、詩はそのはじめから〈空き〉に満ち満ちている。「わたしが一番きれいだったとき」というわたしが一番充実していたはずのときに、「街」が「がらがら崩れていって/とんでもないところから」大きな〈空き〉があらわれる。その〈空き〉には「青空なんかが見えたり」するのだが、しかし、《そこ》に青空が見えることはもちろん《まちがっている》。みえるべきでない場所にあらわれた青空。「青空」=「わたしが一番きれいだったとき」は、まちがった場所に・時間に、転送されている。

語り手の街はぽっかり大きな穴が空き(戦争だろうか)、「まわりの人達が沢山死」んでそれまで誰かいたはずの空間が空き(戦争だろうか)、「だれもやさしい贈物を捧げてはくれ」ずわたしのありえた関係もなくなり(戦争だろうか)、「わたしが一番きれいだったとき/わたしの頭はからっぽ」だったと綴られる(戦争とはなんだろうか)。

しかし、どれだけ、語り手が〈からっぽ〉でも、その〈からっぽ〉であったことを、詩として、ことばとして、語らねばならない。そうでなくては、〈からっぽ〉自体が〈からっぽ〉になり、〈からっぽ〉自体が消えてしまう。

でも、だからといって、〈からっぽ〉を言葉で語り〈切って〉しまっては、やはり、〈からっぽ〉でなくなってしまう。言葉で語れるからっぽなんてからっぽではないのだから。

そのからっぽの板挟みのなかであらわれたのが、詩のラストにあらわれた〈長大な空き〉なのではないだろうか。「フランスのルオー爺さんのように          ね」と、この「ように」と「ね」が接続されるためには、とっても長い〈空き〉が要請される。それは言葉では埋められないものだ。「ね」という確認や同意の終助詞はこの〈空き〉を経て、やっと、たどりつけるものだった。

詩は、ときにからっぽを、用意する。からっぽだったころのわたしをからっぽにさせないために。

  わたしが一番きれいだったとき
  わたしの国は戦争で負けた
  そんな馬鹿なことってあるものか
  ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
    (茨木のり子、同上)


          (『近現代詩歌 日本文学全集29』河出書房新社・2016年 所収)