2014年10月21日火曜日

今日の小川軽舟 13 / 竹岡一郎

古唐津の草木(さうもく)も露深き頃    「近所」

桃山期の唐津の向付であろう。大平鉢であれば尚良い。完品でなくとも、陶片で良いのだ。甕屋の谷窯なら、昏く緑がかった艶やかな下地に、一息に描かれた沢瀉を思う。市ノ瀬高麗神窯なら、明るいさっくりとした土に描かれた、黒色の強い撫子を思う。あらかじめ水に通しておけば、草木の絵は生き生きとして、盛られた肴を美味くする。

桃山の唐津は陶片から勉強すると良いのだ。完品ならとても懐が続かないが、陶片ならポケットマネーで様々な窯の様々な絵を味わえる。美術館でガラス越しに見たって仕方ない。桃山の焼物は、濡らして使って、初めてその妙が分かる。山河の寂静を教えてくれる。

「露深き頃」とは言い得て妙で、桃山の唐津の、思い切り簡略化された絵には、露の深さが良く似合う。ここで接続に「も」を用いているのは重要であって、これを例えば「や」や「を」に置き換えると、古唐津と「露深き頃」は分離して、句が台無しになってしまう。

掲句は、他の諸々のものと共に、古唐津の草木も「露深し」という時候に包含される意であるが、実は水(=露)に濡れた古唐津は、露深き頃の山野の雰囲気をそのまま体現しているのである。即ち、「露深し」なる時候の具象化である古唐津の草木は、「露深し」なる季語と相互に包含し合っているのだ。平成五年作。