2014年10月30日木曜日

今日の小川軽舟 20 / 竹岡一郎

冷やかや群集心理広場に満つ   
  
 「鷹」平成二十五年十二月号掲載。人間は単独では思考するが、群集になると、もはや思考しない。群れていると安心する、その偽りの安心を得る事だけが至上の目的となる。社会的生物の欠点である。

「広場」と言った処が眼目で、広場とは広いように見えて実は狭い。野原ではない。曠野では勿論ない。広場とは、ある一定の人工的な面積でしかない閉鎖空間における、極めて限定的な自由を象徴する。群集の自由を限定しているのは、街の構造でもお上でもなく、実は群集それ自体である。

「冷やかや」とは、単に時候を示すだけではない。作者の醒めた眼差しでもあり、群集心理の薄氷を踏む如き危うさでもある。群集が何を求めているのか、自由か、正義か、金儲けか、安心か、いずれにせよ、それは群集が群集である限り、最大公約数的な夢幻でしかない。自然に群集心理が発生するなら多くは悲喜劇に終わる。誰かが煽っているなら、その煽る者が利益を回収しようとする。

「群集心理」は「群衆心理」とも表記されるが、掲句で「群衆」と記さなかったのは、作者の言葉の感覚が緻密であることを示す。「群衆」と記せば、「民衆」、「大衆」へと連想が及ぶ。だが、群集は民衆でも大衆でもない。例えば、下町に日々の暮らしをいとおしむ人々は、群集ではない。民衆であり大衆の一人であろうが、自ら考え自ら行動する。煽ったりはしない。煽られもしない。何が公正であり、何が人倫に則するか、マスメディアよりも遙かに精確に、肌で知っている。地に足をつけるとは、そういう思考である。