炎天の更なる奥処あるごとし 「近所」
中七により、炎天の、盲いるような眩さが体感される。あまりに明る過ぎる空は却って昏い。「炎天に」ではなく、「炎天の」であることが工夫である。仮に「炎天に」と置けば、炎天は単なる平たい景である。「の」で繋ぐことにより、炎天も深みであり、その深みに更なる奥処があるという、炎天の果てない深さが表現される。下五の「ごとし」は比喩のようでいて実は比喩ではない。仮に「ありにけり」と置いても意味は同じであるが、炎天の深さがまるで違ってくる。「ありにけり」では所詮目に見える程度の深さである。「あるごとし」と置く事により、その奥処が在るか無きか、はっきりしないほどの深みであることを示唆している。昭和六十三年作。