かの男女つぎの稲妻には在らず 「近所」
芝居の一場面のようでもある。道ならぬ恋とか駆け落ちとか心中とか、物騒なことを思うのは、「稲妻」という劇的な、エロスも仄かに感じさせる季語のせいだろう。季語を「雷」と置き換えてみれば、稲妻の必然性が良く分かる。稲が実るしるしと見なされる事から「稲の妻」と呼ばれる季語には、恋愛が良く似合う。人にも自然にも、恋なくして豊饒は成立しない。
「かの」とあるから、作者はかなり離れて二人を目撃したのである。稲妻に一瞬浮かび上がり、次の稲妻には掻き消えている二人は既にこの世の者ではないかもしれず、「稲の妻」なる民話性を鑑みるなら、そもそも人でないかもしれぬ。平成十二年作。