2014年11月25日火曜日

1スクロールの詩歌 [小川双々子] / 青山茂根


息白く命令しつつ死にしこと   小川双々子

 古びたカウンターに座り、私は生まれた東京都下の一角が<ある時期>を境に全く変貌をとげてしまったことを語り、一方、双々子氏の住みつづけている尾張一宮も<ある時期>を境に例外なく姿を変えていったことを、わずかにお聞きしたように記憶している。
(『真昼の花火 現代俳句論集』高橋修宏著 2011 草子社)

 前回、榮猿丸の句を取り上げたのは、高橋修宏著『真昼の花火 現代俳句論集』の中に、これらの記述を見つけたからだった。引用を続けてみる。

 その<ある時期>とは、1960年代から70年代まで余韻のつづいた高度経済成長と呼ばれた―「産業構造の大転換が、郷土と家族を歪ませたこと、都市へ駆りたてられた夥しい若者の夢と願望が、花火のように集約され、はじけ散った」(江里昭彦『生きながら俳句に葬られ』1995年)、そんな時代である。

 ここに語られているジャパニーズドリームの変貌、その象徴であった郊外の衰退後を、てらいなく句にあらわしている一人が榮猿丸であり、手法は違えども、(当人は意識していなくても)、双々子(ひいては江里昭彦や高橋修宏)の系譜の一端であることを再確認したからだった。

 そして、高橋修宏の語る小川双々子が、そうした変容を見つめ、意識的にそれを俳句にしていたことを知って、何か救われたような、はるか遠くに思いがけず援軍を見つけたような心持ちがした。 冒頭に掲げた句を収めた句集『荒韻帖』は2003年に出版されたものだが、その中にこうした、戦後を生きたことから見えてくる戦争の句があることにも。

 最近の漫画『あれよ星屑』1,2巻(でもストーリーとしても面白いし、よく出来た漫画だ)の世界とも重なって、戦争の底辺やその少し上、性に従事した者たちなど様々な角度から、<人類の悲劇>がこれからももっと語られることを願う。

  さまざまな戦争の麦踏んでゐる      小川双々子
  あとずさりするあとずさり戦争以後
  回想の野火「我輩ハ犬デアル」
  あ、逃げた。地が灼けてゐる俺一人
  叱る十二月八日はさみしけれど
  所持品ノ一箇ノ殊ニ黴ゲムリ
  蠅取紙閉ヂ戦争へ行キマシタ
(『荒韻帖』邑書林2003年所収)