2014年11月1日土曜日

1スクロールの詩歌 [正岡子規] / 青山茂根


鐘つきはさびしがらせたあとさびし 正岡子規

 子規俳句の鑑賞といえば、大野林火のものが好きで、それ以外不勉強にもあまり読んでいないのだが、この句から浮かび上がってくる明治という時代の面影に、しばしタイムスリップしてみたい。

江戸の町の人々に時を伝えた時鐘は、明治の世にも残り、二十四時間雇われた鐘撞男がその音を響かせていたという。単純な労働のようで、遠くまで音を響かせるのはなかなか熟練を要した。

子規が日々耳にしていたと思われるのは、上野の精養軒前の鐘だろう。『明治百話』上(篠田鉱造著 岩波文庫 1996)の中に、「上野の鐘の話」が収録されているのだが、明治35年の話として、

五、六年前に死んだ」鐘撞名人のことが書かれている。「数十年この方、鐘撞を勤めていた仙蔵という七十にもなる爺さん」「もうよる年波で歩行すら自由にできぬくらいで、トボトボと鐘楼へ上り、漸く橦木に捉って鐘をつくのだから、何の力も入らない。傍で聞いていると実に音が低くこれがどうして遠方へ届くかと怪しむほどだったが、ある時堂主が駒込へ行った折、鐘を聞いたが、その響が非常に強く、余音嫋々としていうにいわれぬ幽情が籠って、何となく鬼趣をさえ感じ

とある。「さびしがらせたあとさびし」、ふーーっと、その幽玄の鐘の音と、ぶらさがるように鐘をつき終えた老翁のひそかな溜息が、この(明治24年の項にある)句から立ち上がってくるようだ。なにげなく句にその音を書き留めた子規、その佇まいも時代を超えて現代の我々に届く。

(『寒山落木』巻一)