団栗を踏みにじりたる待ち合はせ 平井岳人
並ぶ言葉にいきなりどきりとさせられる。一方で、非常に説得力がある。「踏みにじる」に悪意はない。そもそも、このように言われるまで意識されていない。
団栗の転がっている待ち合わせ場所。それも、踏みにじるほどなのだから、結構な量なのだろう。そんなところでの待ち合わせ、それだけで物語は広がる。とても楽しそうだ。皆の気持ちが高揚していて、もしかしたら早速色々な話に花を咲かせているかもしれない。誰も足元なんて意識しない。そういうところに敢えて目を向けてみると、団栗が踏みにじられている。言い得て妙なのかもしれない。悪意のなさが、無邪気さが、ここに酷ささえ感じられる。日常の中に転がる光と陰の発見である。
<角川『俳句』2014年11月号(第60回角川俳句賞候補作品『手で作る銃』)所収 >