裏おもてつめたき葉書霙降る 遠藤由樹子
最近は、葉書が届くだけで嬉しい。そのくらい、葉書が届くことも少なくなってきた。掲句の葉書は、そのような嬉しさだとか、それがダイレクトメールだった時の落胆だとか、そういったものとは完全に切り離されている。「つめたき」「霙」という言葉だけを見れば、それは予定調和であり、因果である。だが、この句はそうじゃない。掲句の世界をそれ以上のものにしているのは「裏おもて」という措辞にある。
裏と表があると言っても、所詮は薄い紙だから、寒いところにあれば両面同じように冷たくなるだろう。ただ、葉書の表は宛名面、裏は通信面、どちらも重要な役割を担っていながら、役割が全く違う。葉書の受け取り手として、表と裏で感じる心理的な温度感は全く同じでない。そういうことにはっと気づかされる。当たり前のことを当たり前に書いているようで、そこには大きな発見があるのである。でも、それは大げさなものじゃなくて、日常の中の些細な出来事。それを再確認させられるかのように、霙が降っている。
<角川『俳句』2014年11月号(第60回角川俳句賞候補作品『生者らの』)所収 >