2015年6月29日月曜日

今日の小川軽舟 51 / 竹岡一郎



森出でてなほ林ある鹿の子かな     「手帖」  


森の道をゆくうちに前方の視界が開けて来て、明るくなる推移を詠っている。林には光も風も透る。森という半ば閉ざされた空間が嫌なわけではないが、少し視界が開けてほっとした。だが、木々の香りはまだ名残惜しい。その名残をいたわるように林というまばらな木々が広がっている。そんな心情である。

「なほ」が利いている。「林ありける」だと、森と林は分断されてしまう。「鹿の子」が眼目だ。物に怯えやすく、だが好奇心旺盛な小鹿が頼りなくゆっくりと歩いてゆく。小鹿はやはり森を出て林の中を歩いているのであろう。ここで作者は小鹿と歩みをともにしているというよりは、小鹿の心情に寄り添って景を見ている。

漸く歩けるようになり、世界の何もかもが新鮮に見えている小鹿の、その感覚で、森が林へとよどみなく移行してゆく様、視界が開け、森よりは風や光が大きくなってゆく様を享受する。緑の匂いを感じる濡れた鼻先、敏感に辺りの音を捉えて立つ耳、大きな瞳や細い四肢、小鹿の全身は、その五感で以て、森から林へと移り変わる様を敏感に受け取る。その喜びが作者の歩みと重なるのである。平成14年作。

2015年6月26日金曜日

黄金をたたく21 [松岡貞子]  / 北川美美



風に吹かれて蜘蛛来るあなたの耳もくる  松岡貞子

耳は詩になる身体部分なのだろう。私の耳は貝の殻…のあの一節を思い、そう思う。

Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la mer 
( Jean Cocteau, Cannes V )

私の耳は 貝の殻
海の響を懐かしむ
( 堀口大學 訳 )



掲句、恋人同士の待ち合わせのように思え、おしゃべりな作者と聞き役の彼を想像した。しかし、まだここは、「くる」としているのでまだ来ていない。もしかしたら死んでしまった、あるいは別れた恋人に話を聞いてほしくて懐かしんでいるのかもしれない。更にこの「あなた」、今、この句を見ている読者のことを指しているとも読め、夜の静けさの中に、ふっと心地よい風が吹き、作者に誘われ暗示にかけられている気になる。少々怖い句でもある。 

初めに作者が期待するのは「蜘蛛」で、風に吹かれて本当に「蜘蛛来る」のかの疑問は残るが、蜘蛛が意思を持ってやってくるように思える。「来る」と「くる」が重なるので作品として味がある。

まだ蜘蛛もあなたも来ていない、風も吹いていないかもしれない、しかし作者が室外ににひとりで立っている情景がわかる。そして、淋しいとは感じていないことが伝わる。それは作者にとっての「あなた」という存在があるからなのだろう。しかし、待っているものが来なかったらどうなるのだろう。やはり怖い句である。


掲句は、かの「俳句評論」同人誌から見つけた。各同人への短い作品評を三橋敏雄が書いている。敏雄は逢瀬と捉えている。

手元の字引で「媾曳」(筆者注:あいびき)を見たら、「男女の密会」とあってびっくりした。密会はどぎつい。仏蘭西語ならランデヴーだが、いい日本語訳はないものか。このような句のために。
同人作品評:三橋敏雄


<「俳句評論90号」昭和44年(第83・84号 同人作品評より)>

2015年6月25日木曜日

今日の小川軽舟 50 / 竹岡一郎



曾根崎の水照らす灯や蚊喰鳥

 曾根崎は大阪・梅田の繁華街。近松門左衛門の「曾根崎心中」で有名な「お初天神」がある。お初天神は、正式には露天神社(つゆのてんじんしゃ)といい、上古は大阪湾に浮かぶ小島(曾根崎のあたりはもともと海であり、河口の砂が堆積して陸となった)に「住吉須牟地曾根ノ神」を祀ったのが初め。現在の祭神は、少名彦大神、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神及び天神様即ち菅原公であって、お初と徳兵衛は祭神でも何でもない。二人は、天神の森で心中したのである。ところが、今では専ら縁結びの神社と化しているところが面白い。同じ近松の「心中天網島」に出てくる小春は、曾根崎新地の遊女である。江戸の頃は、淀川河口の瘦せた土地であった。明治以降、大阪駅が出来たのをきっかけに、繁華街として栄えた。

私にとっては子供の頃から馴染みの地域だが、曾根崎のあたりは不思議なところである。曾根崎警察署の傍からお初天神商店街に入ると、かなり広い道なのだが、なにもかも共存しているのだ。ゲームセンターがあり、薬屋があり、普通の飲食店や商店があり、キャバクラがあり、バーと一杯飲み屋があり、大人のおもちゃ屋があり、ペットショップがある。その果てにお初天神がある。曾根崎の向こうは、新御堂筋を隔ててラブホテル街があり、老松町の骨董街があり、更に裁判所がある。その向こうは堂島川と中之島だ。大阪の中心地は昔から何もかもごちゃごちゃで、職業や店種によって区分されていない。渾沌の中で、店も人も本音をさらけ出して生きている。

「曾根崎の水」とあるが、江戸の頃はいざ知らず、今、あのあたりに池や川があるわけではない。一番近い堂島川からも相当速足で歩いて二十分はかかるだろう。だから、掲句の水は単なる水ではなく、水に象徴される濁世の様々な事象である。

「曾根崎の水」といわれれば、大阪の誰でも思いつくのは、水商売の「水」である。ここで、中国の占術において水を表わす「坎」の象意に照らせば、水とは、低きに流れ、窪みに溜り、地の底を這い、流れを生じ、他の流れと交わりを結び、艱難辛苦の果に、遂には大海と化す。従って、「坎」の象意は、流動であり、浸透であり、溶解であり、更には遊蕩、煩悶、情交、秘密、疑惑、憂愁、暗黒、奸智、隠匿、敗北、放浪、零落などを表わす。人物では、智者、悪人、淫婦、遊女、病人、死者、服喪者など。人体では、陰部、子宮、尿道、血液、汗、涙、精液、眼球、傷痕など。職業では、船舶業、醸造業等、水に関わる全般から始まり、更に酒屋、水商売、風俗業など。動物ならば、豚、馬、狐、モグラ、水鳥、生魚類、螢、水に関係する生物一切、更に面白いことに蝙蝠も「坎」に属する生き物である。

掲句では、蝙蝠と言わず、「蚊喰鳥」を使っている。その方が、江戸時代の上方情緒が匂うからであろう。(蚊は水に生まれ、血液を吸って生きるから、これもまた「坎」に属する。)そして、曾根崎は上古、海であった。即ち、「坎」の終着である。掲句は「坎」の象意の集合を、灯が照らしているのである。

曾根崎のあたりで蝙蝠が飛ぶところといえば、歓楽街の中心でありながら広い境内を持つ「お初天神」以外考えられぬから、掲句は当然、曾根崎心中を意識している。曾根崎心中に語られる遊蕩、遊女、情交、秘密、煩悶、奸智、零落、これらは全て水の象意であり、従って掲句の水を照らす灯とは、今も盛んなる水商売の灯であり、同時にお初天神の献灯でもあり、曾根崎心中という物語を照らす灯でもある。この灯は、水商売の町に掲げられ、奸智と秘密と情交と煩悶が火蛾の如く群れ集う灯であると同時に、神に掲げられ、神を照らす灯でもある。醤油屋(醸造業であり、坎の象意)の手代・徳兵衛と遊女・お初の心中の物語、これは金銭と恋情の絡みが、坎の極み、死へと至り、死を超える恋が数百年を経て、神を照らす灯へと昇華したのである。大阪は水の都といわれる。水の象意に満ちた大阪の、その物語を照らす灯に、作者は大阪の哀しみを照らさんとする。

平成十五年作。

2015年6月24日水曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 15[西山泊雲]/ 依光陽子




切籠左に廻りつくせば又右に    西山泊雲


切籠は秋の季題だが、季題別に編まれた『泊雲句集』で掲句は夏の部に収められている。西山泊雲は丹波竹田村(現在の兵庫県丹波市市島町)の出なので盂蘭盆会は旧盆で行われたと思うが、この句集の千句余りの季題選別はさほど厳密ではない。

この句の切籠はどんな形だろう。即座に思い浮かんだのは廻り燈籠で、岐阜提灯や絵燈籠、走馬灯の類。燈籠が灯っていて中の影絵が廻っているもの。だが仮にそうであれば一定方向に廻り続けているはずで「廻りつくせば又右に」という部分がどうもしっくりこない。そもそもそれらを切籠と言わないのではと大歳時記を調べたががはっきりせず、山本健吉の『基本季語五○○選』に当ったところ、「燈籠の枠の角を落として切子形に作り、燈籠の下に長い白紙をさげたものを、切子燈籠、略して切子と言う。」として<雨車軸をながすが如く切子かな 万太郎><しだり尾の切子さげ来し萩の中 碧童>などの例句を挙げている。

『泊雲句集』には切籠の句は一句のみ。<燈籠提げて人や穂草を泳ぎ来る><雨だれのしぶき明かに燈籠かな>のあとに掲句が続くのだが、先に挙げた万太郎と碧童の句とモチーフが似ている。この燈籠は切子燈籠のことか。

切籠といえば折口信夫の説も興味深い。一部分を引く。

面白いのは、彼の盂蘭盆の切籠燈籠である。其名称の起りに就ては様々な説はあるが、切籠はやはり単に切り籠で、籠の最(もつとも)想化せられたものといふべく、其幾何学的の構造は、決して偶然の思ひつきではあるまい。盂蘭盆供燈や目籠の習慣を参酌して見て、其処に始めて其起原の暗示を捉へ得る。 (中略)
 要するに、切籠の枠は髯籠の目を表し、垂れた紙は、其髯の符号化した物である。切籠・折掛・高燈籠を立てた上に、門火を焚くのは、真に蛇足の感はあるが、地方によつては魂送りの節、三昧まで切籠共々、精霊を誘ひ出して、これを墓前に懸けて戻る風もある。かのお露の乳母が提げて来た牡丹燈籠もこれなのだ。「畦道や切籠燈籠に行き逢ひぬ」といふ古句は、かうした場合を言うたものであらう。

(折口信夫『盆踊りと祭屋台と』より)

なるほど切籠とは、諸説はあるが角を落とした幾何学的な構造をしていて、紙を垂らした燈籠であり、門口に掛けられてあるものや、魂迎のときに手に提げていくものも含めるようだ。何れにしても精霊の依代であり、燈籠の中の絵が回っているという解釈は見当違いだった。むしろ切籠そのものが廻っているのだ。

西山泊雲は高濱虚子の説く客観写生の忠実な信奉者であった。四Sが登場するまでの大正期、幾度も「ホトトギス」の巻頭を独占し「泊雲時代」と称される時期があった「ホトトギス」前期の代表的な作家である。

掲句を含む七句で泊雲は大正八年九月号の「ホトトギス」の巻頭を取っている。全てが盂蘭盆の句ではなく梅雨の句があったり鳳仙花の句があったりいろいろなのだが、<雨だれのしぶき明かに燈籠かな>と並んでいることを鑑みれば、この切籠を廻しているのはかなり激しい風雨とも考えられる。前句と関わりなしとすれば、或いは切籠を手に提げている人、例えば子どもが魂迎の道々戯れにくるくると廻しているとも読める。いずれにしても、左に廻りつくせば又右に、右に廻りつくせば今度は左に、その規則的な動きをただ客観写生しただけの掲句に、読むほどに惹きつけられていくのは誠に不思議である。精霊の力か。はたまた言霊の力か。


梅雨の蔓人々踏みて通りけり
燈籠や瀬杭にとまりとまり流る
手に足に逆まく水や簗つくる
蚊帳裾を色はみ出たる夏布団
花入れて数にも見ゆる金魚かな
朝顔の大輪や葉に狭められ
胡麻花を破りて蜂の臀(ゐしき)かな
蟷螂壁に白日濁る野分かな
露の径行きすぎし人呼びとむる
芋虫の糞の太さや朝の雨
空深く消え入る梢や雪月夜
焚火の輪解けて大工と左官かな
見て居れば石が千鳥となりてとぶ

(『泊雲句集』昭和9年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年6月22日月曜日

今日の小川軽舟 49 / 竹岡一郎




大工ヨゼフ忌日知られず百合の花


勿論、この大工ヨゼフは、聖母マリアの夫ヨゼフである。このヨゼフの行動は、福音書にはほとんど出て来ない。マリアの受胎の後、夢を見た事(マタイ1・18-25)、身重のマリアを連れて、住民登録の為にベツレヘムへ行った事(ルカ2・4-5)、ヘロデ王を避けて聖母子と共にエジプトへ遁れた事(マタイ2・13-15)、ヘロデ王の死後、イスラエルに戻り、ナザレに住んだ事(マタイ2・19-23)、過越の祭に聖母子をエルサレムに連れて行った事(ルカ2・41-51)。そのくらいであって、忌日どころか、ある時点から忽然と聖書から消えてしまう。

しかし、イエス生誕の前に、ヨゼフは最も重要な働きをしている。この働きなければ、イエスは恐らく世に生まれていない。

『イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を生みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。』
(マタイ1・18-25)

当時の律法では、姦通は石打ちの刑であったという。実質、死刑に等しい。処女懐胎が奇跡である以上、世間はヨゼフの子でなければ姦通の結果と見なすだろう。世間は奇跡を信じないものだ。即ち、もしヨゼフが、面子を潰されたと事を荒立てるような男であれば、マリアは婚約中に不貞を働いたとして石で打たれる。だから、事を公にしようと思わなかっただけでも、ヨゼフは相当に偉い人であるが、更にマリアと婚姻し、イエスを自分の子として育てた。これは天使の夢のお告げが無くとも、ヨゼフはいずれ、そう決断したような気がする。なぜなら、姦通の罪を厳しく糾弾されるような社会にあって、おぼこ娘で気の利いた言訳など何もできないようなマリアが実家に帰され、大きくなってゆくお腹を抱えて、穏やかに暮らせるわけがない。ヨゼフが黙って婚姻する以外、マリアが出産までを平穏に暮せるはずがないのだ。

だから、ヨゼフの形容として記される「正しい人」なる言葉は、誠に重い。如何に自らを空しくして、恋人を護るか。夢に現れた天使は、ヨゼフの良心の具現、義の顕現と重なるのではないか。人の為に律法があるのであって、律法の為に人があるのではない、そう分かってはいても、律法が支配する社会にあって、「律法を超える正しさ」を密かに貫くのは大変な意志力だ。それは律法よりも強靭な優しさであり、恋の極みであり、慈しみの極みである。ヨゼフを漢の鑑といっても良い。
ヨゼフは、ごく普通の人であったろう。何も奇跡を起こさず、その臨終の様も忌日さえも伝えられなかったが、恐らく福音書中、最も偉大な一人であろう。ヨゼフの無私の決断なくして、マリアのその後の人生は無く、イエスの生誕も無かったからだ。そして、ヨゼフは終生、自らの偉大さを全く意識しなかっただろう。彼が聖人に列せられたのは、ずいぶん遅かったらしい。労働者の守護聖人であって、シンボルは大工道具と、そして百合の花である。

掲句の上五中七は、市井の慎ましい労働者であったヨゼフの生涯を示している。下五「百合の花」は聖性を示している。そして、上五中七と下五は、等価である。だから、この句は、ヨゼフに託して、ごく普通の市井人に突然花開く聖性を、高らかに讃えているのだ。
「鷹」平成24年9月号。

2015年6月20日土曜日

今日のクロイワ 27 [中島斌雄]  / 黒岩徳将


鐡橋に蟹に五月の雨が降る   中島斌雄

隣に「犬も梅雨瓦礫の中に徑がある」とあり、言うまでもなく掲句も梅雨の句。

初めに大きな景→小さな蟹の横歩き、という演出がニクい。そして、蟹へのそこはかとない親しみも感じる。

第二句集「光炎」から引いた。

甘い措辞が少し俳句的ではないのだろうか、いや、この少し甘すぎる感じが作家性なのでは、と思わせてくれる句集だ。自分と同じくらいの年代の俳人に読ませて感想を聞いてみたい。


2015年6月18日木曜日

今日の小川軽舟 48 / 竹岡一郎




そのあたり夜のごとくに百合白し


百合の神秘性を詠った句。百合以外はあり得ないだろう。百合はそのフォルム勁く、立姿凛然と、濃密な芳香を放つ。何よりもキリスト教世界で、白い百合は、マドンナリリーと呼ばれるように、聖母マリアの花であり、純潔の象徴である。受胎告知の天使ガブリエルは、白い百合を持った天使として描かれる。

「夜のごとく」とあるから、実際には夜ではないのだろう。百合があまりに白いので、百合の周囲は夜のように感じた、という事である。百合は単にその白さのみで、あたりを暗く思わせているだけではない。その純潔さ、その高貴さ、その芳香に比べると、あたり一帯はくすんで見えるのである。だから、この百合は単に植物の百合ではない。聖性を具現化した百合だ。眼ある者は見るが良い。此の世にはあり得ない百合である。

「ジャン二十二世が、最後の審判の前にはどこにも、天国にさえも、曇りのない幸福はありえないと主張するにいたったのも、地上のこの暗さのためではなかったろうか。実際そのとおりである。この地上が暗澹とした混迷にとざされているのをよそに、どこかに今から神の栄光に照らされている顔があって、天使によりかかり、神を観じるつきない喜びに渇きをいやされていることを想像するには、いかに頑固さと片意地とが必要であったろう。」
(リルケ「マルテの手記」望月市恵訳、岩波文庫、223頁)

 これは比喩の句であり、象徴の句なのであるが、この句の優れた技法は、普通なら句の焦点である百合の花を「ごとく」で喩える処を、百合を取り巻く環境が、百合によってどのように変化するかを「ごとく」で喩えたところだろう。また、その喩えも「夜」という茫漠な喩えであり、喩えられる周囲も「そのあたり」という、何ら具体性の無い環境である。

わざわざ抽象の極みのような環境に、更に茫洋たる喩えを用いることによって、掲句の示す世界には、もはや百合以外存在しておらず、その百合も、形容としては、「白し」と誠に素っ気なく、即物的に詠っているのみである。その即物性が、時も場所もわからぬ茫漠たる周囲と相俟って、百合の聖性を強く引き出している。

「鷹」平成24年9月号。

2015年6月15日月曜日

今日の小川軽舟 47 / 竹岡一郎




冷蔵庫闇にひらきて光抱く        

「闇にひらきて」とあるから、深夜、家族が寝静まった後に、喉が渇いたか小腹が空いたかして、開けたのだろう。或いは一人者なのかもしれぬ。日常の些細な事なのに、妙に切実な思いが滲むのは、下五の「抱く」による。作者自ら光に対して働き掛ける動詞を出したことにより、光への想いが出るのだ。

夜中に冷蔵庫を開けて、ぼんやりすると安心する、という人がいる。中にはある程度、食糧が詰まっていた方が良いそうだ。冷蔵庫の温度が上がって、ピーピー音が鳴り出すと、名残惜しく閉めるのだそうで、友人にも何人かいた。私などはドライな人間なので、そんなことは先ずしない。この行為は子宮回帰願望であって必要なのだ、と主張する友もいて、そうであれば中々切ない話である。食べ物が詰まっているのを見て、無意識に安心するのだとも考えられる。それならば本能の変形であって、また悲しい。

季語は作者自身であるとは、作者のかねてからの主張である。掲句は作者と季語が重なって読める例だろう。言葉通りに読めば、冷蔵庫を開いたのは作者である。冷蔵庫の光を抱いたのも作者だ。だが、冷蔵庫が作者の手に応じて、或る意志を以て開いた、と読む事も出来る。今の冷蔵庫はマグネットで閉じているだけなので、内側からも簡単に開く。満杯に物を容れていれば、何もしなくとも勝手に開くことがある。

光を抱くのは、作者であると同時に冷蔵庫でもある。冷蔵庫は完全に閉じてしまえば、中は闇だ。扉を閉じるぎりぎりにして、観察してみると、ふっと光が消えるのが判る。扉をゆっくりと開き始めると、中の物が横から見えるか見えないかの処で、明かりがともる。冷蔵庫は、外界の闇に囲まれて、密閉された闇を抱いているのだが、そこに人間の手が加わって、外界と通じさせた途端に、光が生じる。

食べ物が腐らないための工夫を凝らした箱の内が灯る、これは一時的にせよ安心感を与える。かつて三種の神器と言われただけの事はある。食糧を備蓄できるがゆえに餓えないという安心、そして闇の中でも開けば灯るという安心、やっぱり子宮回帰願望にどこか通ずる安心感なのだろうか。

「鷹」平成26年10月号。

2015年6月14日日曜日

今日のクロイワ 26 [岡田一実]  / 黒岩徳将



虹立ちて虹の消えざる来世は嫌   岡田一実

句の方向性としては希望を疑わず、現在の世界の輝きを望んでいるのだが、虹が立っているときに消える想像をしてしまうというネガティブさに共感を覚える。下五の「来世は嫌」を軽く流すか、重く受け止めるか、その二つで読みが変わってくる。誰かの落とすぽつりとした呟きにその人の本質的な何かが潜んでいるのかもしれない。 「境界-border-」より。

2015年6月11日木曜日

今日のクロイワ 25 [若杉朋哉]  / 黒岩徳将


毎日の柿の紅葉の懐かしき  若杉朋哉

毎日なのに懐かしいとはこれ如何に、と幼い頃なら思ったかもしれない。
柿の紅葉のなんとも言えない赤さを、いつもの道で思う.先日、電話で友人にこの句を紹介したら、彼は「いいですね!」と何度も繰り返した。その魅力を、人と確かめ合いたくなる句だ。「朋哉句集」より。1ページに1句が基本、というのがこの句集の好きなところだ。

2015年6月10日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 14[前田普羅]/ 依光陽子




空蟬のふんばつて居て壊はれけり   前田普羅


蟬の存在自体儚いのに、その上どうしてウツセミなんて哀しい響の名前をつけたのだろう。

そんな空蟬そのものは意外にしぶとく、羽化するために出た地上で、ここと決めた枝や茎や葉にしがみついた姿のままいくつも季節を送る。分身である蟬が鳴いている間も、それが命尽きて乾び、地上に落ちた翅や銅が吹かれどこかへ紛れてしまったその後も、割れた背中から雨が入ったり、風に吹かれたり、埃まみれになって双眼を濁らせたり、日の光に輝いたり、霜を纏ったりしながらそこに在る。

ふんばって居て壊れたのは空蟬だろうか。散文であればそう捉えるのが普通だろう。だがそもそも踏ん張ったのは蟬の幼虫であって空蟬ではないし、命のないものが自らの動作によって壊れるはずもない。ここには俳句独特の切れという仕掛がある。「空蟬の」の後の軽い切れの後の虚。空蟬の、その踏ん張って見える容に己の気持、あるいは誰かを重ねたのだ。空っぽになって、それでも踏ん張っていたのに壊れてしまった何か、あるいは誰か。

そして、目の前の空蟬が壊れる。ガラガラと、パラパラと落ちる欠片を、不思議と冷静に見ている自分。音のない音をたてて落ちた、透明な、琥珀色のカケラ。


「わが俳句は、俳句のためにあらず、更に高く深きものへの階段に過ぎず」と云へる大正元年頃の考へは、今日なほ心の大部分を占むる考へなり、こは俳句をいやしみたる意味にあらで、俳句を尊貴なる手段となしたるに過ぎず。 
(『新訂 普羅句集』小伝 より)


第二句集となる『新訂 普羅句集』の小伝で、俳句を手段に過ぎないと述べている前田普羅は、この時すでに職を辞め、東京を離れて北陸に移り、俳句一筋の人生に入っていた。普羅の一徹な生き方に相反して、また『新訂 普羅句集』の集中に於いても、フラジャイルな掲句は異色だ。しかし今読み返してみたとき他のどの句でもなくこの句に立ち止まってしまうのは、今を生きる私たちの多くが、心の奥底にこの空蟬のカケラを拾うことができるからではないか。


春更けて諸鳥啼くや雲の上 
花を見し面を闇に打たせけり 
人殺ろす我かも知らず飛ぶ螢 
新涼や豆腐驚く唐辛 
秋出水乾かんとして花赤し 
しかじかと日を吸ふ柿の静かな 
病む人の足袋白々とはきにけり 
立山のかぶさる町や水を打つ 
湖に夏草を刈り落しけり 
探梅の人が覗きて井は古りぬ

(『新訂 普羅句集』昭和9年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年6月8日月曜日

今日の小川軽舟 46 / 竹岡一郎



線切れし黒電話より黴の声    「呼鈴」 


80年代までは、家庭の電話は普通、黒電話だった。私が学生の頃、東京の部屋で黒電話を使っていた。当時の黒電話は、もう一昔前の聳えるようなフォルムではなく、もっと丸っこい形だった。調べてみると、その数は激減したものの、今でも黒電話は使われているらしい。

掲句の黒電話が何処にあるかは記されていない。どこかの古いアパートの空き部屋に座っているのかもしれぬし、戸外に置き捨てられて廃品回収を待っているのかもしれぬ。或いは、掲句が、句集の平成二十三年の部に収められていることを考えるなら、東北の津波の後の惨たらしい景の中に転がっているのかもしれぬと思う。

掲句は黒電話の置かれている景には一切触れず、ただ、線が切れていて、もう使えない黒電話だけを描写している。だから、ここでは、黒電話はいずれの時代とも場所ともわからない虚無の景の中に打ち捨てられているに等しい。

黒電話にはうっすらと黴が生えている。または、目には認められぬが、実際に手に持ってみたら黴臭かったのかも知れぬ。そこにレトロな忘れられた雰囲気を味わうのも、一つの鑑賞だろう。この場合、「声」は、雰囲気、或いは書画を評する時に用いる「におい」を表わしていると取れる。

また、実際に黴のささやく声を聴いたというのも、一つの鑑賞である。黴は生きていて繁殖するのだから、全くの無音ということはない。人間の耳には聞こえないレベルの音というだけだ。その黴の声を、時代に置き捨てられた懐かしさと見るも良し、だが、時代に忘れられた怨みと見る事も有りだ。
黴は一見無害に見えるが、或る種の黒黴は、その胞子が人体に有害であって、例えば、部屋の壁の裏などにびっしりと繁殖した黒黴は、絶えずまき散らすその胞子によって、住人の肺を侵し、死に至らしめる事も有るという。掲句の電話の黒色に、黒黴に託した怨みの有害さを思う事も可能だ。

更に、下五の「声」に注目するなら、電話とは人の声を中継し、会話を取り持つための器械である。何千、何万遍と手に取られ、語りかけらけ、耳を傾けられた黒電話は、膨大な量の声を中継してきたわけで、それは人の膨大な思念を堆積して来たに等しい。

付喪神というのは、九十九年永らえた器物が物の怪と化すのだが、そこまで時を経なくとも置き捨てられた器物は化けるという。電話が化けるとすれば、長年堆積して来た人間の念がその核となる筈で、化けた電話が自らを表現する手段は、ベルを鳴り響かせるか、或いは受話器から慎ましく声を垂らすかであろう。掲句の電話は更に慎ましく、自らの身に繁殖する黴に、己が声を託している。
「黴の声」とは、実際に繁殖する黴の存在表明であり、打ち捨てられている電話という器物の存在表明でもあり、かつてその電話を介した人間の声と思念の存在表明でもある。そうなると、黒電話の色は、繁殖したい黴の思いであったり、化ける他ない器物の思いであったり、人間の過去の声や思念だったりする。そういう堆積の渾沌を、黒という色に観ても良い。

昔流行った電話の怪談といえば、引っ越してきたアパートの一室に黒電話が捨てられていて、線が切れている筈なのに、夜中に鳴ったりする。よせばよいのに、電話に出てしまったりして、受話器から女の恨み言が聞こえたりする。そこから色々バリエーションがあって、早々に部屋を引き払うが、引っ越した先にまた黒電話が転がっている、或いは新居の新しい電話からしつこく幽霊の声がする、自分は引っ越さずに電話を向かいの電柱の下に捨てるが、近所迷惑にも夜中に路上で鳴り響く、あるいは仕事から戻ると、捨てた電話が勝手に部屋に上がり込んでいる、と、まあ、様々な工夫が凝らされるわけだが、この怪談の芯は、置き捨てられ顧みられることの無い思念の、相手構わず縋りたいほどの孤独である。掲句の場合も、その芯となるのは、廃品と化した黒電話の孤独である。その孤独のか細さを、作者は「黴の声」と聴き取る事により、掬い上げたのであろう。

平成二十三年作。

2015年6月4日木曜日

今日の小川軽舟 45 / 竹岡一郎



冷奴庶民感情すぐ妬む

居酒屋の景であろうか。冷奴を肴に飲んでいたりするのである。それで芸能人や金持ちの話題になったりすると、直ぐ妬みが始まる。

華やかなスポットライトや豪奢な暮らしは妬まれるものだ。或いは、妬みの対象は、自分を差し置いて出世した同僚であろうか。

大体において妬みがみっともないのは、物欲しげであるからだ。嵩ずると、餓鬼の如くとなる。幾らでも欲しがるからである。金が欲しい、名誉が欲しい、地位が欲しいとなると、人間、切りがなくなる。で、得られぬ事が明らかになると、妬む。

これが芸能人や金持ちに対する嫉妬なら、酒席における鬱憤晴らしで済む。社会が悪いとなると、やがて煽る者達が現れる。国家の栄光でも良いし、人民の権利でも良いが、色々くっつける大義名分には事欠かない。どんな理由でも煽れるのである。

ここで掲句が、「庶民感情」と言い、「庶民」とは言っていない事に注目するのが肝要である。庶民には一人一人の顔がある。庶民感情には顔が無いし、実体も無い。一つの場の雰囲気であって、無責任な念の流れである。一億総火の玉、とか、造反有理、などのスローガンは、この庶民感情を非常にうまく利用して、贋物の義にまで捏ね上げたものである。

完璧に正しい義なんてものはかつて存在した例がないが、義というものは常に存在する。それが義であるかどうかの判断は、それが自らの正当性や利益のために利用されるものでしかないか、それを奉ずるために殉ずることが出来るか、であろう。

「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」とは、西郷隆盛が山岡鉄舟を評した言葉。妬む者は、先ず命が惜しい、次に金が惜しい、それから地位や名誉が惜しい。要するに、痩我慢しないのである。瘦我慢する者を、もののふ、という。

もののふとは、強制できる性質のものではない。理屈ではなく、一念に属するものである。虚仮の一念といっても良いかもしれぬが、その一念は命の惜しい者には砕けない。一種の天性であって、善悪とは関係ない。無論、右翼左翼とも関係ないし、社会性とも関係ない。もっと言えば、生物の本能とも此の世とも関係ない。だから、もののふに成りたくない者は、別に成らなくて良いのである。
掲句は冷奴が利いている。冷奴は、「庶民感情」という甚だ捉えどころのない、厄介な妬み易さに対峙しつつ、親身に寄り添い、諫めている。これが肉の類なら妬みを煽るだろう。魚でも、その生臭さで以て、妬みに加担するかもしれぬ。野菜なら、ただ寄り添っているだけであり、果実ならその芳香によって妬みには無関心であろう。

冷奴は畑の肉と呼ばれる大豆から作られる、要は只の豆腐だ。主要成分は蛋白質で、筋肉の素となる。コレステロール低く、安価にして美味。形簡素にして色つややかに白く潔し。人にたとえるなら、質実剛健であろう。つまりは、もののふである。正確に言うなら、もののふの血腥さを切り捨て、私心無き高潔さだけを強調したような食べ物と言えようか。

また、豆腐とは、精進料理に使われるように、肉食の出来ない僧の為の主要な蛋白質でもあった。「碧巌録」五則の「英霊底の漢」という言葉を思い起こす。僧の理想が英霊底の漢であるなら、僧とは、非武装の「もののふ」か。

「英霊底の漢」の特色として、以下のように続く。「所以に照用同時、卷舒齊しく唱え。理事不二、権實並び行ふ」(ゆえにしょうようどうじ、けんじょひとしくとなえ。りじふじ、ごんじつならびおこなう)非常に簡単に意訳すれば、次のようになろうか。「相手の性質とその場の心の出方を照らし出すように明らかに観、その出方に応じた言動が即座に取れる。肯定否定の二元論を超えて事の流れを観ることが出来るゆえに、否定と肯定の二元論を自在に使いこなせる。物事の本質と外部に表われる事象を一つの流れとして認識することが出来る。権(かり)の、方便の教え、即ち、日常の出来事に対処する教えと、真実の教え、即ち、生死を超えた真理に迫る教えを、並行して説くことが出来る」これを、噂話や煽動による庶民感情の流れに抗する、自制の心構えとして学んでも良いのである。

冷奴は妬む者に黙して寄り添い、食われることによって、妬みを暗に諫めている。冷えた豆腐であることにより、冷静な判断の象徴を想わせる。掲句の冷奴は、庶民感情に流される者の筋肉となり、更には魂の筋肉になろうとしている。その一人の庶民が、地道な暮らしの中で、その誠実さこそが義であると感じ、日々の平穏さを自らが殉じてでも守るべきと感ずるようになれば、もはやその庶民は「もののふ」であるといえよう。血腥くない、冷奴の如く淡々とした、もののふである。

鷹平成26年8月号。

2015年6月1日月曜日

今日の小川軽舟 44 / 竹岡一郎



生国を沖に捨て来し海月かな



クラゲは目が無いから暗いという意で「暗(くら)げ」とする説がある。実際には傘の周りに感覚器官があり、明暗や方向くらいは判別できるらしい。海の月と書くのは、海中にいる時、月のようだからという。一方、水の母と書くのは、クラゲは目が無いから小蝦を目として用い、蝦はクラゲに従うゆえに、蝦を子に、クラゲを母に見立てての事だという。或いは、クラゲは死ぬと水に還るからだともいう。

生国を捨てて漂っているクラゲは、できれば海の月のように仄かに光っていて欲しい、という思いから、作者は「海月」と表記したのであろう。季語を作者自身と解するなら、流離の孤独が、波に霞みつつ映る月の如く光っているのである。

クラゲは受精卵が海中を漂い、それがやがてプラヌラという幼生となり、さらに海底に付着して、イソギンチャク状のポリプとなる。そのポリプが幾つもの節を持つストロビラという形態になり、節が幾つもの傘を積み重ねたような形になると、その傘が一枚一枚分離して、俗にいうクラゲの形となる。それならクラゲの生国は、一般には海底ということになる。

掲句では沖とあるから、沖の海底となると、これは日本で言えば、根の国、黄泉であろう。スサノオノミコトが総べるのは根の国であるが、スサノオは海神でもあることから、沖にも黄泉を設定するのは古代の神話観の一つである。

(ここで興味深いのは、クラゲの寿命は数か月から長くとも半年であるが、クラゲの元となるポリプは環境が適切な限り、不死に近いという事である。即ち、海底の根の国におけるクラゲのいわば「根」は不死なのだ。)

熊野を隠国(こもりく)、死の国と呼ぶならば、紀伊半島南部から広がる海は浄土へ赴く海路であろう。補陀落渡海も思い出される。

そうなると、掲句に相応しい舞台は熊野から見はるかす太平洋であろうし、掲句の源を作者の師系に探るなら、藤田湘子の「水母より西へ行かむと思ひしのみ」である。西は西方浄土であり、湘子が胸中に試みるのは補陀落渡海であろう。

掲句のクラゲは沖という根の国の生れであって、沖を捨てて月のように漂いつつ、恐らく陸、生者の国を目指すのである。体の成分のほとんどが水であるクラゲの形態は、例えるなら、まだ魂である状態であろうか。となると、掲句は転生の一場面を詠ったものと解する事も出来る。

鷹平成26年9月号。