2019年7月25日木曜日

DAZZLEHAIKU36[栗林 浩]  渡邉美保



  行く夏のからとむらひか沖に船     栗林 浩

 「からとむらひ」という言葉にはっとする。
 広辞苑に「空葬。死体の発見されない死人のために仮に行う葬式」とある。
 「からとむらひ」から
  〈屍なき漁夫の弔ひ冬鷗〉   平野卍
  〈屍なき柩のすわる隙間風〉   〃
の句が思い浮かぶ。冬の海で遭難した死者の葬儀、空の柩の虚しさが悲しみを深くする。
 しかし、掲句の「からとむらひか」という軽い疑問形には、悲愴感や暗さはない。
 作者の視線は沖へ向いている。過ぎてゆく夏へ向けた遠まなざし。
 沖を行く船が、行く夏を弔っているかのようだということだろうか。
 空の色や雲の形、海の色、波の高さに夏の衰え、秋の気配を感じる、明るいけれど、どこかもの悲しさを秘めた景を思わせる。

 夏の終りは、太平洋戦争の死者たち、海で命を落とした人たちを思う季節でもある。沖を行く船や寄せる波に鎮魂の思いが込められているような気がする。

〈句集『うさぎの話』(2019年/角川書店)所収〉

2019年7月1日月曜日

DAZZLEHAIKU35[榎本 亨]  渡邉美保



  飛んでくる蠅に大らか烏賊を干す     榎本 亨


 海辺の町の「烏賊を干す」というイメージは鮮やかだ。
 ずらりと一列に干された烏賊の白い身が光り、その向こうに青い空と青い海が広がっている。潮風がときおり、干された烏賊を揺らす。
 そこへ、匂いを嗅ぎつけてか、蠅が飛んでくる。不衛生ということで、嫌われることの多い蠅であるが、ここでは多分、想定内の許容範囲。いちいち気にしてはいられないのだ。
 烏賊を干す作業、飛んでくる蠅、その一部始終を見ている作者の眼差しもまた大らかで、一句一章の伸びやかな景に懐かしさを覚える。
 衛生管理の行き届いた設備の中、機械的に乾燥させた干し烏賊よりは、少々蠅がとまろうとも、天日を浴び、潮風に吹かれた烏賊の方が断然美味しいと思う。

〈季刊『なんぢゃ』[夏]45号(2019年)所収〉