飛雪のホーム軍手という語なお生きいる 古沢太穂軍手はそもそも戦時中に海軍が使用していたものであった、と聞いたことがある。もはや我々には「聞いたことがある」と伝聞的に述べる他にないことが切ないが、太穂は既に前の戦争を経て「軍手」という言葉が残った''あはれ''を感じていた。飛雪とは違う、薄汚れた白さの軍手。その存在は時を経ても、雪に紛れることはないのかもしれない。
出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊
-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
今までの執筆者:竹岡一郎・仮屋賢一・青山茂根・黒岩徳将・今泉礼奈・佐藤りえ・北川美美・依光陽子・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保
飛雪のホーム軍手という語なお生きいる 古沢太穂軍手はそもそも戦時中に海軍が使用していたものであった、と聞いたことがある。もはや我々には「聞いたことがある」と伝聞的に述べる他にないことが切ないが、太穂は既に前の戦争を経て「軍手」という言葉が残った''あはれ''を感じていた。飛雪とは違う、薄汚れた白さの軍手。その存在は時を経ても、雪に紛れることはないのかもしれない。
ロシヤ映画みてきて冬のにんじん太し 古沢太穂太穂は東京外国語学校でロシア語を学んだ学生であった。それだけに、ロシア映画を観る機会も度々あったのだろう。
胸ふかく呼吸せよ欅みな太し 古沢太穂
税重し寒の雨降る轍あと 古沢太穂今や、国の借金が1000兆円を超えたらしい。僕が幼い頃は800兆だか900兆だかだったような気がするのだが、いつのまにか増えている。僕らは生まれた頃から1人あたりウン百万円の借金を背負っている、という言説があるが、僕らの世代にある閉塞感はその背中の重たさなのだろうか。重たい背中は、自然と視線を俯かせる。
かんがへのまとまらぬゆゑ雪をまつ 森澄雄
四肢衰へて見る白桃は夢のごとし 森澄雄澄雄は昭和二十三年三月に結婚し直ちに上京するものの、同年五月に腎を病み、以降一年余りを病床で過ごした。澄雄の病状が最悪のタイミングで妻が出産のため単独入院したことに、〈霜夜待つ丹田に吾子生まるるを〉の句を残している。決して安らかな病床ではなかったようだが、その時間が澄雄のこころを育んだのもまた事実であろう。身体は衰えを隠せないが、彼の内的世界は膨張した。
鬼やらひけふ横雲のばら色に 森澄雄鬼はなぜ赤いのだろう。もちろん、「泣いた赤鬼」には思慮深くて切ない青鬼が登場するし、緑鬼もいるらしい。けれど、やっぱり鬼と言ったら赤鬼である。なまはげや天狗も赤い。赤鬼と彼らは兄弟みたいなものだろう。人間界でも、矢沢永吉のYAZAWAタオルは赤い。アントニオ猪木が新宿駅前で街頭演説をしているのを見たことがあるが、そのときも赤いマフラーをしていた(しかし、あれは果たしてマフラーなのか?)。赤鬼と彼らも従兄弟みたいなものだろう。やはり赤という色は、物の怪のちからの象徴である。天地のちからが漲っているのだ。
家に時計なければ雪はとめどなし 森澄雄