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2015年9月28日月曜日

処女林をめぐる 8 [古沢太穂]  / 大塚凱


飛雪のホーム軍手という語なお生きいる  古沢太穂
軍手はそもそも戦時中に海軍が使用していたものであった、と聞いたことがある。もはや我々には「聞いたことがある」と伝聞的に述べる他にないことが切ないが、太穂は既に前の戦争を経て「軍手」という言葉が残った''あはれ''を感じていた。飛雪とは違う、薄汚れた白さの軍手。その存在は時を経ても、雪に紛れることはないのかもしれない。

出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊

2015年9月21日月曜日

処女林をめぐる 7 [古沢太穂]  / 大塚凱



ロシヤ映画みてきて冬のにんじん太し 古沢太穂
太穂は東京外国語学校でロシア語を学んだ学生であった。それだけに、ロシア映画を観る機会も度々あったのだろう。

「太し」の背景にはロシア映画に映るにんじんの「細さ」がある。まだ貧しかった日本。その冬に負けじと、我が国のにんじんの太さが象徴的に立ち上がってくる。それは太穂の心象風景であったと言えよう。「冬の」という措辞は無駄ではない。遠い北方を想像する太穂のこころにとって、眼前のにんじんが「冬」のにんじんであることが切なさを感じさせる。

出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊

2015年9月14日月曜日

処女林をめぐる 6 [古沢太穂]  / 大塚凱



胸ふかく呼吸せよ欅みな太し  古沢太穂

無季俳句だが、僕には欅の瑞々しい緑色が瞳にあふれてくる。夏の活力が肺の隅々にまでゆきわたるかのようだ。呼吸を繰り返す胸の隆さは、太々とした欅と重なり合う。われわれ動物の呼吸と、欅の光合成。太穂の作品はそのテーマ性ゆえに第一句集においても冬の印象が強いが、この句は夏の清冽さに満ちている。そのプロレタリア的傾向はイデオロギーではなく、生の讃歌としてあふれるのだ。

出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊

2015年9月7日月曜日

処女林をめぐる 5 [古沢太穂]  / 大塚凱


税重し寒の雨降る轍あと  古沢太穂
今や、国の借金が1000兆円を超えたらしい。僕が幼い頃は800兆だか900兆だかだったような気がするのだが、いつのまにか増えている。僕らは生まれた頃から1人あたりウン百万円の借金を背負っている、という言説があるが、僕らの世代にある閉塞感はその背中の重たさなのだろうか。重たい背中は、自然と視線を俯かせる。

太穂が生きた時代には、こんな重たさはのしかかってはいなかっただろう。それはもっと直接的で、実体のある税の重たさだったはずだ。轍あとーー太穂の詠んだ貧しさは、どこか律令制のもとで取り立てられた税をも想像させる。古代、太穂の時代、そして我々の時代へと轍は繋がっているのだ。
出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊

2015年7月23日木曜日

処女林をめぐる 4  [森澄雄]  / 大塚凱


かんがへのまとまらぬゆゑ雪をまつ   森澄雄

僕がかんがえている。いったいなにをかんがえているのか。なにをかんがえるべきなのだろうか。

そもそも、なにをかんがえていたんだっけ。かんがえるということは、しばしば、かんがえるということをかんがえさせてしまう。そうしているうちに、かんがえはふかまっていくようであるし、輪をえがいてどうどうめぐりしているような気もするし、宇宙のかなたにとんでいってしまうみたいでおそろしくもなる。かんがえは僕を勇気づけてくれるが、僕を傷つけるときもある。そんなときは、せめてかんがえないようにすることをかんがえる。消しては書き、消しては、書き、そうやってふえていった消しかすのかたまりがほんとうの「かんがえ」なんじゃないかなあってかんがえたりするのです。

僕はなにをかんがえていたのでしょうか。なにかをかんがえていたのです。いつになったら、かんがえはまとまってゆくのでしょうか。雪がふるまで、かんがえているのです。あなたいま、雪のことをかんがえたでしょう?

(『雪櫟』昭和二十九年・書肆ユリイカ刊所収)

2015年7月16日木曜日

処女林をめぐる 3 [森澄雄]  / 大塚凱


四肢衰へて見る白桃は夢のごとし   森澄雄
澄雄は昭和二十三年三月に結婚し直ちに上京するものの、同年五月に腎を病み、以降一年余りを病床で過ごした。澄雄の病状が最悪のタイミングで妻が出産のため単独入院したことに、〈霜夜待つ丹田に吾子生まるるを〉の句を残している。決して安らかな病床ではなかったようだが、その時間が澄雄のこころを育んだのもまた事実であろう。身体は衰えを隠せないが、彼の内的世界は膨張した。

腎を病んで衰えた自らに、剝かれた白桃が差し出されているのだろうか。澄雄はつややかな白桃を「夢のごとし」と捉えた。確かに、身体の衰えと白桃の豊かさが対比されている構図が中心であり、この生命のモチーフを一種のパターンであると批判する、あるいは「夢のごとし」という表現が俗に使い古されていると批判することもできるだろう。しかし、重要なのはこの句が「白桃が存在し、それを味わうことが夢のようだ」ということではなく「白桃そのものが夢のようだ」と表現されていることだ。病床で長い時を臥せる者にとって、夢は慰みだろうか。僕には想像することしかできないが、もしそうだとするならば、澄雄の戯れた夢の数々が白桃という存在に凝縮されて甘い汁を湛えているような心地がしてならない。眠る度に消費されていく夢を、四肢衰えた澄雄は「見た」のではないだろうか。澄雄の言語世界で白桃の白さは、そんなまぼろしの光を纏っている。

(『雪櫟』昭和二十九年・書肆ユリイカ刊所収)

2015年7月9日木曜日

処女林をめぐる 2 [森澄雄]  / 大塚凱


鬼やらひけふ横雲のばら色に    森澄雄
鬼はなぜ赤いのだろう。もちろん、「泣いた赤鬼」には思慮深くて切ない青鬼が登場するし、緑鬼もいるらしい。けれど、やっぱり鬼と言ったら赤鬼である。なまはげや天狗も赤い。赤鬼と彼らは兄弟みたいなものだろう。人間界でも、矢沢永吉のYAZAWAタオルは赤い。アントニオ猪木が新宿駅前で街頭演説をしているのを見たことがあるが、そのときも赤いマフラーをしていた(しかし、あれは果たしてマフラーなのか?)。赤鬼と彼らも従兄弟みたいなものだろう。やはり赤という色は、物の怪のちからの象徴である。天地のちからが漲っているのだ。

「横雲のばら色」にはそんなエネルギーを感じるし、節分の時期の清澄な空気、その冷えた日暮れの季節感がある。冬薔薇の気品すら感じる天地である。これから日が落ちれば、それぞれの家から豆撒きの声が漏れてくることだろう。その前の静かな夕暮れのひととき。

(『雪櫟』昭和二十九年・書肆ユリイカ刊所収)

処女林をめぐる 3 [森澄雄]  / 大塚凱
四肢衰へて見る白桃は夢のごとし 森澄雄
澄雄は昭和二十三年三月に結婚し直ちに上京するものの、同年五月に腎を病み、以降一年余りを病床で過ごした。澄雄の病状が最悪のタイミングで妻が出産のため単独入院したことに、〈霜夜待つ丹田に吾子生まるるを〉の句を残している。決して安らかな病床ではなかったようだが、その時間が澄雄のこころを育んだのもまた事実であろう。身体は衰えを隠せないが、彼の内的世界は膨張した。
腎を病んで衰えた自らに、剝かれた白桃が差し出されているのだろうか。澄雄はつややかな白桃を「夢のごとし」と捉えた。確かに、身体の衰えと白桃の豊かさが対比されている構図が中心であり、この生命のモチーフを一種のパターンであると批判する、あるいは「夢のごとし」という表現が俗に使い古されていると批判することもできるだろう。しかし、重要なのはこの句が「白桃が存在し、それを味わうことが夢のようだ」ということではなく「白桃そのものが夢のようだ」と表現されていることだ。病床で長い時を臥せる者にとって、夢は慰みだろうか。僕には想像することしかできないが、もしそうだとするならば、澄雄の戯れた夢の数々が白桃という存在に凝縮されて甘い汁を湛えているような心地がしてならない。眠る度に消費されていく夢を、四肢衰えた澄雄は「見た」のではないだろうか。澄雄の言語世界で白桃の白さは、そんなまぼろしの光を纏っている。
(『雪櫟』昭和二十九年・書肆ユリイカ刊所収)

2015年7月2日木曜日

処女林をめぐる 1 [森澄雄]  / 大塚凱



家に時計なければ雪はとめどなし    森澄雄

第一句集『雪櫟』は学生時代を中心に、応召・野戦時代を空けて帰還以後の作によって編まれた。結婚・上京後に住んだ武蔵野の櫟林に囲まれた自宅を詠んだ一作が掲句である。

時計、つまり「時間感覚」と「雪」との連想をめぐる俳句はしばしば詠まれている。草田男の〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉や波郷の〈雪降れり時間の束の降るごとく〉は言わずもがな、子規の〈いくたびも雪の深さをたづねけり〉にも、そこには確かな静けさを湛えた時間が流れている。そう考えていくと、「雪」と「時間」の連想というよりは、きっと「雪」そのものに「時間」が包摂されている。

僕も時計のない家にひとり、暮らしている。得体のしれぬ喪失感や満たされなさを抱えているうちに、時は過ぎ去ってゆく。時計の針が時間を教えてくれることもない。とめどない雪が、そして茫々たる時間が、僕のからだにふりかかる。時計がなければ、瞳は時を捉えきれない。そんなちいさな家に、雪がふりかかる。澄雄の住んだ家は、戦後の窮乏のなか妻子四人と暮らしたちいさな家であった。

(『雪櫟』昭和二十九年・書肆ユリイカ刊所収)





2014年12月1日月曜日

執筆者紹介



 下記メンバーにて詩歌を鑑賞します。

竹岡一郎(たけおか・いちろう)
昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。平成26年、鷹月光集同人。現代俳句評論賞受賞。著書句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。句集「ふるさとのはつこひ」(平成27年4月、ふらんす堂)

青山茂根(あおやま・もね)
広告関係の集まりである「宗形句会」から俳句にはまる。「銀化」「豈」所属。俳号のようだが、前の戸籍名。安伸さんには遠く及ばないが、文楽・歌舞伎好き。薙刀を始めるかどうか迷い中。

今泉礼奈(いまいずみ・れな)
平成6年生まれ。「東大学生俳句会」幹事。第6回石田波郷新人賞奨励賞。現在、お茶の水女子大学3年。

佐藤りえ(さとう・りえ)
1973年生まれ。「恒信風」同人を開店休業中。


黒岩 徳将(くろいわ・とくまさ)
1990年神戸市生まれ。第10回俳句甲子園出場。俳句集団「いつき組」所属。2011年、若手中心の句会「関西俳句会ふらここ」創立、2014年卒業。第5回第6回石田波郷新人賞奨励賞。


仮屋賢一(かりや・けんいち)
1992年生まれ、京都大学工学部。関西俳句会「ふらここ」代表。作曲も嗜む。


北川美美(きたがわ・びび)
1963年生まれ。「面」「豈」所属。某バンドのファンサイトにてbibiを名乗る。その後、北海道で駅名「美々」を発見。初句会にて山本紫黄より表記「美美」がいいと言われ、以降、美美を俳号とする。アイヌ語では美は川の意味があり、インドでは、「bibi」はお姉さん・おばさんの愛誦らしい。当ブログ「俳句新空間」運営。


●依光陽子(よりみつ・ようこ)
1964年生まれ。「クンツァイト」「ku+」「屋根」所属。1998年角川俳句賞受賞。共著『俳コレ』『現代俳句最前線』等。


大塚凱(おおつか・がい)
平成7年、千葉県生まれ。現在は都内在住。俳句同人誌「群青」副編集長。第3回石田波郷新人賞準賞。さぼてんの咲かない部屋で一人暮らしをしている大学生。


●宮﨑莉々香(みやざき・りりか)
1996年高知県生まれ。「円錐」「群青」「蝶」同人。



●柳本々々(やぎもと・もともと)

1982年生まれ。東京都在住。おかじょうき・旬・触光・かばん所属。ブログ『あとがき全集』『川柳スープレックス』。「あとがきの冒険」『週刊俳句』、「短詩時評」『俳句新空間』。上田信治『リボン』に栞文、岩田多佳子『ステンレスの木』・野間幸恵『WATER WAX』・竹井紫乙『白百合亭日常』にあとがき、木本朱夏監修『猫川柳アンソロジー ことばの国の猫たち』にエッセイ、中家菜津子『うずく、まる』に挿絵を寄稿。2015年毎日歌壇賞受賞。2016年毎日歌壇賞受賞。2017年東京俳壇賞受賞。
安福望との共著『きょうごめんいけないんだ』
毎日連載中 今日のもともと予報 ことばの風吹く 365日川柳日記(+挿絵:安福望)、春陽堂書店公式リニューアルサイト、2018年5月22日から








執筆者紹介



 下記メンバーにて詩歌を鑑賞します。

竹岡一郎(たけおか・いちろう)
昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。平成26年、鷹月光集同人。現代俳句評論賞受賞。著書句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。句集「ふるさとのはつこひ」(平成27年4月、ふらんす堂)

青山茂根(あおやま・もね)
広告関係の集まりである「宗形句会」から俳句にはまる。「銀化」「豈」所属。俳号のようだが、前の戸籍名。安伸さんには遠く及ばないが、文楽・歌舞伎好き。薙刀を始めるかどうか迷い中。

今泉礼奈(いまいずみ・れな)
平成6年生まれ。「東大学生俳句会」幹事。第6回石田波郷新人賞奨励賞。現在、お茶の水女子大学3年。

佐藤りえ(さとう・りえ)
1973年生まれ。「恒信風」同人を開店休業中。


黒岩 徳将(くろいわ・とくまさ)
1990年神戸市生まれ。第10回俳句甲子園出場。俳句集団「いつき組」所属。2011年、若手中心の句会「関西俳句会ふらここ」創立、2014年卒業。第5回第6回石田波郷新人賞奨励賞。


仮屋賢一(かりや・けんいち)
1992年生まれ、京都大学工学部。関西俳句会「ふらここ」代表。作曲も嗜む。


北川美美(きたがわ・びび)
1963年生まれ。「面」「豈」所属。某バンドのファンサイトにてbibiを名乗る。その後、北海道で駅名「美々」を発見。初句会にて山本紫黄より表記「美美」がいいと言われ、以降、美美を俳号とする。アイヌ語では美は川の意味があり、インドでは、「bibi」はお姉さん・おばさんの愛誦らしい。当ブログ「俳句新空間」運営。


●依光陽子(よりみつ・ようこ)
1964年生まれ。「クンツァイト」「ku+」「屋根」所属。1998年角川俳句賞受賞。共著『俳コレ』『現代俳句最前線』等。


大塚凱(おおつか・がい)
平成7年、千葉県生まれ。現在は都内在住。俳句同人誌「群青」副編集長。第3回石田波郷新人賞準賞。さぼてんの咲かない部屋で一人暮らしをしている大学生。


●宮﨑莉々香(みやざき・りりか)
1996年高知県生まれ。「円錐」「群青」「蝶」同人。



●柳本々々(やぎもと・もともと)

1982年生まれ。東京都在住。おかじょうき・旬・触光・かばん所属。ブログ『あとがき全集』『川柳スープレックス』。「あとがきの冒険」『週刊俳句』、「短詩時評」『俳句新空間』を連載中。岩田多佳子『ステンレスの木』・野間幸恵『WATER WAX』・竹井紫乙『白百合亭日常』にあとがき、木本朱夏監修『猫川柳アンソロジー ことばの国の猫たち』にエッセイ、中家菜津子『うずく、まる』に挿絵を寄稿。2015年毎日歌壇賞受賞

●渡邊美保(わたなべ・みほ)

1948年生まれ。2003年「火星」入会(退会)2012年とんぼり句会参加。第29回俳壇賞受賞