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2015年2月23日月曜日

貯金箱を割る日 18[和田誠] / 仮屋賢一



春光や家なき人も物を干す  和田誠

 物を干すという言葉には、極めて家庭的な響きがある。洗濯物を干すにしても、魚や野菜や果物を干すにしても、何にしても。

 「家なき人」という言葉が堂々と中七にありながらも、読後感は非常に気持ち良い。そこにあるもの全てにいきいきとした輝きを与える春光ではあるが、「春愁」という言葉もある季節、ポジティブさとネガティブさは表裏一体。「春光」と「家なき人」との組み合わせは、ともすれば感傷的になり叙情に流されかねない。でも、この作品においては「物を干す」という措辞によって「何ら特別でない日常生活」という主題が浮かび上がる。特別でない、というのは、当人たちにとって、というのもそうだけれども、この作品の作者自身がそう感じているのだろう。優劣の一切ない、すべて横並びの「生活」として捉えている。「同情するならカネをくれ」(『家なき子』)なんてことは決して言われそうにない。というよりここには「上から目線の同情」(『リーガル・ハイ』)なんてものは存在しない。だから、安心して気持よくこの作品を鑑賞することができるのだろう。

《出典:和田誠『白い嘘』(梧葉出版,2002)》

2015年2月17日火曜日

貯金箱を割る日 17[和田誠] / 仮屋賢一



司会者の慇懃無礼去年今年  和田誠

 喋ることが仕事とはいえ、司会業を営む人たち皆が完璧な日本語を使いこなせているわけでもなく、そのキャラクターは人それぞれ。中には、なんにも間違っていないのだけれども、使う言葉にどうにも違和感を覚えるような人だっている。特に敬語なんかで、聞く度に鳥肌が立つような、そんな感じ。日本語の問題、というより、その人のキャラクターの問題だろう。なんだか、「らしくない」とでもいうべき、あの感触。

 年末から新年にかけて、忘年会や新年会をはじめとして、何かとイベントが多い。テレビショーでも特別番組が多く編成され、司会の人々が多く目につく。そういう人々の慇懃無礼さも、一種の風物詩というような感じで、気にはなりつつも、こちらはこちらでワイワイやっている、だとか、お茶の間で家族団欒、和気藹々と楽しんでいるだとか、そんな風景が見えてくる。「無礼講」という言葉も思い浮かんでくるよう。昨年もなんだかんだありましたけど、総じていい年でしたね。今年もよい年になりますように。そんな具合だろうか。

《出典:和田誠『白い嘘』(梧葉出版,2002)》