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2015年6月26日金曜日

黄金をたたく21 [松岡貞子]  / 北川美美



風に吹かれて蜘蛛来るあなたの耳もくる  松岡貞子

耳は詩になる身体部分なのだろう。私の耳は貝の殻…のあの一節を思い、そう思う。

Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la mer 
( Jean Cocteau, Cannes V )

私の耳は 貝の殻
海の響を懐かしむ
( 堀口大學 訳 )



掲句、恋人同士の待ち合わせのように思え、おしゃべりな作者と聞き役の彼を想像した。しかし、まだここは、「くる」としているのでまだ来ていない。もしかしたら死んでしまった、あるいは別れた恋人に話を聞いてほしくて懐かしんでいるのかもしれない。更にこの「あなた」、今、この句を見ている読者のことを指しているとも読め、夜の静けさの中に、ふっと心地よい風が吹き、作者に誘われ暗示にかけられている気になる。少々怖い句でもある。 

初めに作者が期待するのは「蜘蛛」で、風に吹かれて本当に「蜘蛛来る」のかの疑問は残るが、蜘蛛が意思を持ってやってくるように思える。「来る」と「くる」が重なるので作品として味がある。

まだ蜘蛛もあなたも来ていない、風も吹いていないかもしれない、しかし作者が室外ににひとりで立っている情景がわかる。そして、淋しいとは感じていないことが伝わる。それは作者にとっての「あなた」という存在があるからなのだろう。しかし、待っているものが来なかったらどうなるのだろう。やはり怖い句である。


掲句は、かの「俳句評論」同人誌から見つけた。各同人への短い作品評を三橋敏雄が書いている。敏雄は逢瀬と捉えている。

手元の字引で「媾曳」(筆者注:あいびき)を見たら、「男女の密会」とあってびっくりした。密会はどぎつい。仏蘭西語ならランデヴーだが、いい日本語訳はないものか。このような句のために。
同人作品評:三橋敏雄


<「俳句評論90号」昭和44年(第83・84号 同人作品評より)>

2015年2月16日月曜日

黄金をたたく12 [三橋敏雄]  / 北川美美


かもめ来よ天金の書をひらくたび  三橋敏雄

輝かしくそして勇気づけられる一行の詩。七十年を経てもまったく古びない言葉の贈り物。

原句は昭和十二年四月「句と評論」に入選の〈冬ぬくき書の天金よりかもめ〉が初出。このとき敏雄十六歳。その後掲句の姿に改作の後、昭和十六年刊の合同句集『現代名俳句集・第二巻』「太古」に収録。このとき敏雄二十一歳、太平洋戦争が開戦された年である。その情勢下にありながら当時の西洋へ憧憬が〈かもめ〉〈天金〉に現れ、七十年以上を経た現在でも古びない。未知の世界に胸をときめかせる心地よさがある。

それまでの「俳句」という外的イメージ、例えば、畳の上で和服で渋茶をすすっているような光景。それが新興俳句によって、革張りソファーにウィスキーグラスを片手に男たちが語りあうようなイメージに飛躍したのだから相当なマイナーチェンジを果たしたともいえよう。朝ドラ「マッサン」の解説じみたことになるが、昭和十五(1940)年の国産スコッチウィスキーの国内最大の消費先は日本海軍という記録がある。(三橋敏雄は召集後、横須賀海兵団に所属。)


日本での天金の装丁本は明治・大正期にみられ、「内容は精神、装丁は肉体」といわれるほど、すばらし造本が展開された。夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』橋口五葉装丁、萩原朔太郎『月に吠える』画・田中恭吉、装丁・恩地孝四郎など美術品装丁といわれる。実際に敏雄は朔太郎の著作に親しんでいることが年譜から伺える。

この句の<天金の書>…自分ならどんな書籍か、というエッセイをいくつか見る。自分の書棚を見ると、高校生時に購入した革張りの小さな英和辞書、三省堂GEMが天金いや三方金だ。雀のような小さな辞書。自分にとっては、持っているだけで安心、実際に持ち歩いていたのは言葉によるコミュニケーションに興味が湧いた頃だったように思う。<かもめ来よ天金の書をひらくたび>の気分だったのだ。

<『太古』『青の中』所収>