2020年8月28日金曜日

DAZZLEHAIKU48[仙田洋子]  渡邉美保

   揚羽蝶派手な死装束だこと    仙田洋子  


  息絶えた揚羽蝶が道端に落ちているのを見ることがある。ありふれた夏蝶の死である。翅が破れていたり、埃っぽかったりしてはいても、どこか見過ごせないものがある。大振りで未だ光を帯びた翅の質感、黒地に鮮やかな黄や青の色彩。骸となってもよく目立つ。確かに派手である。
  「派手な死装束だこと」のつぶやきがそのまま一句になっている。そのつぶやきの背後にある作者の感慨を思う。
 真夏の暑さの中を狂おしく飛び回った果ての揚羽蝶の死には、外見の派手さとはうらはらに、寂しさや、痛々しさが感じられる。そして、同句集中の〈夏蝶もみな孤独死ではないか 仙田洋子〉の句がそのまま諾える。
   
   八月の石にすがりて
   さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
   わが運命(さだめ)を知りしのち、
   たれかよくこの烈しき
   夏の陽光のなかに生きむ。
    ・・・・・    

  伊東静雄「八月の石にすがりて」より


   〈『はばたき』(2019年/角川文化振興財団所収〉 

2020年8月7日金曜日

DAZZLEHAIKU47[おおさわほてる]  渡邉美保

    机拭く隅から隅まで夏野まで    おおさわほてる


 乱雑に積み上げられた本やノートで、いつのまにか狭くなった机上をきちんと片づけた時の爽快感は格別だ。不用のものを取り除くと机は広々と
して、自分自身のスペースを取り戻した気分になる。本、ノート、紙類を置きっぱなしにしていた机は、意外なほど埃に塗れている。
 机を拭く。隅から隅まで。机を拭く私は、たちまち夏野へ飛ぶ。今、私を取りまく世界は夏野になっている。
 
真っ青な空。白い雲。太陽が降りそそぎ、一面に生い茂った夏草が風にそよいでいる。作者は、どんな夏野に立っているのだろう。作者の胸に去来するものを想像させてくれる。掲句に付されたエッセーに、
記憶は突然よみがえる。そして美しい。
今日は窓を大きく開けて、
  夏の風を迎えよう。           
とある。記憶の中の夏野のはなやぎと寂寥。机を拭く行為から夏野への飛躍が清々しい。

〈 頭の中で白い夏野になってゐる 高屋窓秋 〉の有名な句を体現しているかのようだ。


〈俳句とエッセー『気配』(2020年/創風社出版)所収〉