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2016年2月8日月曜日

またたくきざはし 7 [大井恒行]    竹岡一郎




水の村魚とりつくし魚佇つ冬     大井恒行

「水の村」とあるから、水郷なのだと思う。海辺の村ではあるまい。「水」と「とりつくし」の語から、「水涸る」という季語も連想される。水源地の積雪や氷結のために川沼の水量が減る現象である。季は冬であるから、水の村は当然、水量も減っているだろう。厳しい寒さも連想される。ここにおいて、末尾の季が春や夏や秋ではなくどうしても冬でなければならない必然性が生じる。背後に「水涸る」状況を立ち上がらせるためである。

掲句では、涸れるのは水でなく魚であるから、ここで魚と水は等価ではないかという錯覚が起きる。魚をとるのは人間であろうが、中七の結果として下五の「魚佇つ」が置かれているから、魚を捕っていたのは実は人間ではなく、魚だったのかという錯覚もまた起きる。

水の村に住みながら同胞をとりつくした挙句、冬の厳しい枯渇の中に茫然と立っている魚は、やはり人間の暗喩であろうか。いや、人間であると否とを問わず、魂の暗喩だろうか。とりつくした理由を「魚なる魂」の愚かさに求めるよりは、むしろやむを得ぬ運命の結果と捉えた方が、句の寂しさは増すように思う。

<「風の銀漢」拾遺。「大井恒行句集」ふらんす堂1999年所収>

2015年7月20日月曜日

またたくきざはし2  [大井恒行] / 竹岡一郎



怒髪は焼け衡は焼けて透ける耳のみ   大井恒行

判らぬながら、美しい夕焼けの如き情景が浮かぶのは、「透ける耳のみ」によると思う。「衡」は何と読むのか。音読みで「コウ」と読むのか、訓読みで「はかり」か「くびき」か、秤によって量られることを頚木と思う憂さがあって、二重の意味を持たせる意図で敢えてルビを付けなかったのか。

「衡」には、別の意味もあって、一つには死を司る北斗七星の柄の部分である。もう一つには、はかり、目方から転じて、標準という意味がある。更には、物事の良し悪しや成否を考えるという意味もある。

怒髪天を衝く、という言葉を思うと、これは天を突き上げるような怒りであろう。時の為政者に対する怒りか、この世のあらゆる不正に対する怒りか。その怒りも、その発露である逆立つ髪も焼け、その怒りを呼び覚ます「くびき」または「はかり」も焼ける。標準という概念も焼け、危うい釣り合いを保っていた何かも焼け、今起こさんとし或いは既に起こした物事の善悪も成否も焼ける。焼けるのは、天の炎によって焼けるのか。或いは遂に炎となった怒りが、髪も、怒りそれ自身も焼き尽くすのか。衡には平らという意味もある。だから、何もかも焼け失せて真っ平らになった地平への連想も生じる。

「焼け」を二度繰り返すのは、反復のリズム効果もあろうが、それよりもむしろ焼ける順序を敢えてつけることにより(衡が焼ける結果として怒髪も焼けるのではなく、まず怒髪が焼け次に衡が焼ける)、怒髪という現象に対する考察にも及ぶ。即ち、怒髪自体がそもそも衡の一種ではないのか。
そして怒髪の燃え滾る刃のような鋭さも、秤の厳しさも頚木の鈍重さも持たぬ、透ける耳のみが残る。耳は何もかも焼けた後の静寂を、澄んだ夕焼けの内に聴くのである。作者には、「木霊降るいちずに夕陽枷となり」の句もある。(「秋の詩」所収)ここでは枷の正体が表されており、また耳が聴くのは木霊である。こちらの方が判りやすい句ではあろうが、私は掲句の怒髪の行き行きて帰らぬ様に胸打たれる。正義を欲し、糾弾を求め、公平な秤に憧れ、不正な頚木を憎み、あるいは戒律たる頚木を待ち望み、燃え上がる髪の如く怒りを突き立て、この怒りは我を焼き我が髪を焼き我が身を火柱と化して天を衝くことを欲し、だが一切は焼け、否、焼けつくしてしまえ、真っ平らな地平だけが残れ、夕焼色に似た静寂だけが残れ、その静寂を聴く清澄な耳だけが残れ、それは怒髪突き上げた者の耳ではなく、柔らかな透ける耳、その内に新しき血の巡りて耀う為に、あまた怒れる者が殉じた耳。

<「秋(トキ)の詩(ウタ)」現代俳句文庫49『大井恒行句集』1999年ふらんす堂所収>


2015年7月13日月曜日

またたくきざはし 1 [大井恒行]   / 竹岡一郎



椀に降る牢獄(ひとや)ながらの世は初雪   大井恒行
「世の」ではなく、「世は」であることが眼目であろう。この助詞のずらし方により、この世と初雪の位置が重なり、下五において句が飛躍的に広がる。牢獄のような濁世の儚さを端的に喩えているのであるが、同時に、作者にとっては未だに初雪の如く初々しく見える世をも称えてもいる。

椀とは何だろう。山頭火の「鉄鉢の中へも霰」を思う。「碗」ではなく、木製の「椀」であるから、これはたとえ霰が落ちても大して響かない。ましてや初雪である。初雪に喩えられる此の世は音を吸い、自らも静かなのである。或いはかくあれかしと作者は希うのだろうか。「牢獄」なる語から、囚われの身に出される貧しい食をも思う。椀に降るのは雪でもあるが此の世全体でもあるのだから、これは相当大きい椀であろう。世の果てまで広がる伸縮自在の碗とも考えられる。そう考えた時、そのように喩えられるものはたった一つしかない。人間の心である。だから、この椀は作者自身の象徴であろう。作者が此の世を越えてはみ出したいと思っているように見えてならぬ。何の為にそこまで広がりたいかといえば、それは初雪を受けるが如く、この世を静かに受け止めたいからだ。「秋(トキ)の詩(ウタ)」
<現代俳句文庫49『大井恒行句集』1999年ふらんす堂所収>