2022年4月26日火曜日

DAZZLEHAIKU61[黛 執]  渡邉美保

  海ばかり見て待春の風見鶏    黛 執


 海辺に生まれ育ったものの、現在は海の見えない場所に住んで久しい。

 無性に故郷の海を見たくなることがある。コロナ禍の長引くなかでは、遠出もままならず、海ばかり見ている風見鶏が羨ましい。

 「待春」の本意は「早く春来よと願う心である」という。寒さも峠を越して、あたたかい日が続くようになると、春を心待ちにする気分がいっそう強くなってくる気がする。

 掲句では、風見鶏という、鶏をかたどった風向計が、海ばかり見て春を待っているよと描かれていて楽しい。その風見鶏は春を待つ作者に重なる。読み手もまた風見鶏になり、高台から広い海を見下ろしているかのような気分。

 強い北風が吹きすさぶ、荒れた海を見ることもあるだろう。よく晴れた日の穏やかな海もあるだろう。

 今、風見鶏が見ている海は、まだ寒さはあるが、きらきら光る眩しい海であり、どことなく春の兆しを宿しているに違いない。

〈句集『畦の木』(2009年/角川SSC)所収〉