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2014年12月13日土曜日

身体をよむ 3 [桂信子] 今泉礼奈


壁うつす鏡に風邪の身を入れる 桂信子

姿見ほどの大きい鏡を思った。そこには壁が、それはもう置いたときからずっと映りこんでいる。そして、その鏡の前に立つと、風邪のため弱っている自分がいた。自分じゃないような、でも自分だという、すこし寂しい気分になる。

「身を入れる」という能動的な動きとはうらはらに、その後の気分はせつない。

たぶん、人生そんなことが多いのだろう。これぐらいは受け入れなければならないのだ、と思うしかないのだ。

(『女身』1955年所収)

2014年12月8日月曜日

身体をよむ 2 [桂信子] 今泉礼奈


月の中透きとほる身をもたずして   桂信子

月の光に透きとおりたいのだろうか。それとも、そんな身を月に申し訳なく思っているのだろうか。月の美しさの前に、どうすることもできない自分を詠んでいる。

桂信子の句には、やはり、夫を亡くした悲しみが底に流れているようなものが多く並ぶ。
この句に漂う悲しみも、月の光では抱えきれないのではないかと、心配だ。

「月の中」と、月に照らされる世界全体をはじめに提示し、そのレンズをぐっと自分の身体へと引きよせる。儚い広がりのある句だ。

(『女身』1955年所収)

2014年12月2日火曜日

身体をよむ1 [桂信子] 今泉礼奈


ひとごゑのなかのひと日の風邪ごこち   桂信子

リフレインの気持ちよさに反して、何ともすっきりしない風邪のときの気分を詠んだ句。

夜、今日の一日をふり返る。電車に乗ったこと、授業を受けたこと、友だちと話したこと。その内容に意識が奪われがちだが、確かに。一日は人の声で溢れている。何気ない一日をメタ的に捉えている。
しかし、ここでは、その把握は、ちょっとした風邪によるものだという。内容まで思い出す気分ではない。音だけを思い出しているのだ、と。

と、ここまで書いてみて思ったが、これだと重症のようだ。「風邪ごこち」なのだから、そこまでではない、鼻づまり程度だろう。
そんなときでもやはり、人の声は嫌なものではない。

(『月光抄』1949年所収)