-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
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2017年9月17日日曜日
超不思議な短詩222[阿部公彦]/柳本々々
おもしろいのは、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』のような作品を読んだ人なら覚えているあの脱力感覚と、日本的な俳句の精神のまじり具合である 阿部公彦
70年代はマンガ『巨人の星』の「スポ根劇画」に代表されるようなハードな汗と涙と闘いのエネルギッシュな60年代が終わり、女性誌『an・an』や『non・no』の創刊、マクドナルド、ミスタードーナツ、サーティワンといったファーストフードの日本の開店など、キャラクターやファンシービジネスが始まってゆく時代という言われ方をされることがあるが(前に取り上げた攝津幸彦はその70年代に二十代を過ごしていた)、その70年代半ば、1976年にアメリカの作家リチャード・ブローティガンは東京に一ヶ月半滞在し、『東京日記』という詩を書いた。
阿部公彦さんは「解説」でこんなふうに書いている。
「東京日記」の多くの作品は、俳句に触発された語り口になっている。俳句ならではの唐突さや切断感は、はじめて訪れる東京で足場のないまま、さまざまな“瞬間”をあやうく渡り歩いていた詩人にとって、まさにぴったりの装置を提供してくれたのだろう。
おもしろいのは、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』のような作品を読んだ人なら覚えているあの脱力感覚と、日本的な俳句の精神のまじり具合である。切断や転換、接合などによって生み出される俳句特有の凝縮した緊張感を支えているのがある種の“拮抗”だと考えれば、これに対してブローティガンで目立つのは、拡散と散逸の気分でもある。主旋律は緊張よりも弛緩であり、興奮や熱気よりも冷却となぐさめが言葉を生み出していく。
(阿部公彦「解説」『東京日記』)
瞬間を渡り歩く装置として「俳句の精神」を使いながらも、その瞬間は凝縮されるよりも「拡散と散逸」を伴っていく。「日常を鋭く切り取り緊張」というよりは、「緊張と驚きと空虚さをゆったり流してくれるやさしさ」の方に傾いていく。
俳句的な装いをまとう本書の短詩は、実際には、俳句的なキャプチャの身振りをほどき、流し、平凡化・日常化する。平凡であるとは何と難しいことだろう。際だたず、とがらず、立ち止まらない。
(阿部公彦、同上)
〈平凡さ〉というフローのなかに身を置くこと。
テレビの
日本の子どもたちの番組を見て
ぼくはこの三十分間をすごした
ここ東京には何百万ものぼくたちがいる
ぼくたちは自分の好きなものがわかっている
(ブローティガン「日本の子どもたち」『東京日記』)
日本の「テレビ」を「三十間」見ている時間が〈わたし〉の個を際だたせることなく、「何百万ものぼくたち」に拡散・散逸していく。「ぼくは自分の好きなものがわかっている」ではなく、「ぼくたちは自分の好きなものがわかっている」というひどく曖昧な流れるような言い方。〈見る〉という行為が〈わたしたちの見る〉につながり、〈何百万もの見る〉とともにフローな個の流れとしてうかびあがってくる。
この不思議な短詩では何度か取り上げている句だが、こんな俳句がある。
毛布から白いテレビを見てゐたり 鴇田智哉
毛布から白いテレビを見ているのだが、この助動詞「たり」を完了(~した)ではなく、存続(ある時点からずーっと~している)の意味合いでとった場合、語り手は、ずーっと白いテレビを見ているなかに身をおいていることになる。ずーっと語り手は毛布から白いテレビを見ている。そのときこの「たり」は神秘化していく。毛布から白いテレビをずーっと見ている風景は死後の景にも近いからだ。
その「死後の景」を誘導するのが「毛布」と「白いテレビ」の組み合わせである。たとえばこのテレビが〈白い画面〉だった場合、テレビを見ていながら・同時に・テレビをなんにも見ていないということになる。この句は突き詰めれば・突き詰めるほど〈見ること〉の危機的な様相が浮かび上がり、〈見ること・見ないこと〉を通して死者も含めた〈何百万もの見るぼくたち〉が現れる。
この俳句にもブローティガンの詩にあるようなフローな感覚が見いだされうるように思う(ちなみにフローという概念はよくゲームを論じた本を読んでいると出てくるゲームのプレイヤーを考えるときのキーワードになっている。たとえばマリオをプレイしているとき、あなたはあなたがあなたでありつつも没入していく感覚を経験していないだろうか。ゲームをプレイしながら、個でありつつも・個を没入させていく感覚。俳句とゲームの親和性)。現在の俳句は、瞬間的な切り取りではなく、フローな感覚に敏感になっている。フローな俳句としてはこんな印象的な俳句もあげられる。
息のある方へ動いている流氷 田島健一
(『句集 ただならぬぽ』)
この田島さんの句にも鴇田さんの神秘的な「たり」に通じるような神秘的な存続の助動詞「ている」がある。70年代アメリカの労働者階級の〈どこにもゆけなさ〉を描いた小説家にレイモンド・カーヴァーがいる。ただカーヴァーが特徴的だったのは、労働者階級のミドルクラスの生活をミニマルに描きながらも、それが〈外〉に神秘的に抜けていってしまう点だった。どこにもゆけなさのなかで神秘性があらわれる。
カーヴァーのマジックは、貧困を含めた、ありとあらゆるものを、無意味化、身体化する、そのミニマリズムのスタイルにある。そのスタイルの特徴は、既存のリアリズムにあるような社会的、政治的文脈を無視し、まるでそこに社会など存在しないかのように、身体化された世界だけを描くことにある。言ってみれば、カーヴァーの作品は、アメリカ合衆国の話ではない。それは、合衆国のなかのどこかの街の話であるが、カーヴァーの作品世界は、その街を描くことで成立していて、そこに街よりも大きなもの、大きな社会、合衆国は存在しないのだから。ミニマリズムとは、自分の周囲十メートルの話なのである。カーヴァーのマジックは、労働者階級なら労働者階級の生活を描きながら、それが単なる労働者階級の生活ではなくなる瞬間を提出することにある。その瞬間とは、「大聖堂」の啓示が示すように、無意味化、身体化の結晶である。それは、既存の政治的・社会的文脈を破壊した、まったく新しいなにかなのだ。
(三浦玲一『村上春樹とポストモダン・ジャパン』)
わたしはこのマジックのありかた、「毛布から」という「自分の周囲十メートルの話」を描きながら「白いテレビ」という魔術的メディアを通して〈日本の話〉だけではないマジカルな啓示的瞬間があらわれているのを鴇田さんのテレビの句に感じる。それは、ブローティガンの「子ども番組のテレビ」を見ていただけで「何百万ものぼくたち」につながってしまうようなフローしていく何かである。
私は実は三年前に鴇田さんの白いテレビの句をはじめて眼にしたときに、すぐに思い出したカーヴァーの一節があった。ただその一節がどの作品にあるのか、ずっと思い出せなかった。だから思い出すまで待っていようとおもった。ところが、きのう、雨がふっているのかふっていないのかわからない白い光の空の真下を、ぼんやり、傘をさしながら道を歩いていたら、とつぜん思い出した。それは、テレビを見ているなかで、テレビを見ていることを突き抜けてしまう、白いテレビのなかに暴力的に包まれてしまう一節だった。横になって、どこにもゆけないなかで・その《どこにも》が圧倒的に・暴力的に押し寄せ、しずかに、その場で、じっとしながら、押し流されていく〈終わりの風景〉。私が思い出したかったのは、これだった。
私はそこに横になってテレビを見ていた、軍服を着た男たちの姿が画面に映っていた。ぼそぼそとした声。それから戦車隊が現れ、ひとりの男が火炎放射器を発射した。音は聞こえなかったが、わざわざ起き上がるのも面倒だった。私は瞼が重なるまで、じっとテレビを見ていた。でもはっと目を覚ました。私のパジャマは汗でぐしょ濡れになっていた。雪明かりのような光が部屋に満ちていた。ゴオオオという音が私に押し寄せてきた。その轟音は耳を聾せんばかりだった。私はそこに横になっていた。私は動かなかった。
(カーヴァー「みんなは何処に行ったのか?」『ファイアズ』)
(「解説」『東京日記』平凡社ライブラリー・2017年 所収)
ラベル:
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阿部公彦,
田島健一,
鴇田智哉
2017年6月25日日曜日
続フシギな短詩133[中村安伸]/柳本々々
殺さないでください夜どほし桜ちる 中村安伸
俳句と悲しいについて書いたので、少しそれを押し進めて俳句と傷のようなものについて書いてみたい。
私が俳句と傷について考えるようになったのは、『俳句新空間』の外山一機さんの時評を読んでゆくうちに、である。読み進めていくうちに、このひとは、俳句について《語ろう》としているよりも、俳句について語っていくうちに《傷つこう》としているのではないかと思った。しかも、意図的に(だからある意味、《自傷》である)。
このことにふと気づいたとき私は電車で読んでいた手をとめ、頭をかかえ、じっとした。《俳句が傷つくことがあるのか!》と。私はそれまで俳句が傷とは無縁のものだと思っていたから。
外山さんが評を書くときに意識的に選ぶ「僕たち」や「僕」という主語もそうだと思う。村上春樹もレイモンド・カーヴァーもそうだが、「僕」という主語は傷つく準備を待機する主語なのではないか(外山さんが生成した「僕」の対極をゆく「あたし」主体〈巻民代〉もそうだったのではないか。傷を引き受ける主体だったのではないか)。
外山一機は俳句に〈傷〉というテーマを持ち込んだのではないか。
外山さんは現在『角川俳句』において時評を連載されているが、来月号でこんなことを書いている。
実際、僕は句集を読んでいて、勝手に傷ついていることがある。
(外山一機「現代俳句時評7 俳句を不公平に読む」『角川俳句』2017年7月号)
外山一機にとって読むことは傷つくことである。しかしそれを率直に語れる人間がどれだけいるだろうか。
ちょっとまた長い遠回りをしてしまったが、中村さんの句集『虎の夜食』は特殊な構成で成り立っている。俳句の合間合間にフィクションとしての短文が入るのである。たとえば。
王立図書館の設計図には、収蔵される全ての書籍の題名、著者名等が記されてゐる。収納位置はサイズや厚みなどを考慮して決められてをり、ちやうど千年後に全ての書棚が隙間なく埋まることになつてゐる。
別冊の著者名牽引で自分の名を探さうとしたとき、誰かに殴られて意識を失つた。
(中村安伸「一篇の詩」『虎の夜食』邑書林、2016年)
俳句俳句の合間合間にある短文のなかで語り手は「殴られ」ている。こうした〈可傷性〉というのは、掲句の「殺さないでください」と響きあっているように思う。句だけではわからなかった〈傷つく〉風景が短文=散文の導入によって〈具体的・状況的な傷〉になっているのである(散文という形式はシーンを描くため、そもそも形式的傷つきやすさを持っていると言えるかもしれない)。
この短文の前にはこんな句があった。
黄落や父を刺さずに二十歳過ぐ 中村安伸
「刺さずに」の句と「殴られて」の短文がゆるく〈傷〉の連なりをもっている。
この句集では後に「父」が刺される。
父を刺せば玩具出てくる文化の日 中村安伸
他にもこんな句が〈傷〉をめぐる句としてあげられるのではないか。
はたらくのこはくて泣いた夏帽子 中村安伸
空をとぶ女の子たちにまもられ 〃
二人を繋いで沈む手錠が売られてゐる 〃
切腹にたつぷり使ふ春の水 〃
この句集が〈傷〉をめぐる句集だとは言い切れないが、ある側面からみれば、この句集は〈傷〉をめぐるテーマを抱えているのではないかと思う。先ほども少し述べたが、句の合間に挿入される短文もそうだ。そうした散文形式が句における〈傷口〉にシーンを与える。
この中村さんの句集が取り上げられた現代俳句協会青年部のイベントでは、他に岡村知昭さん、小津夜景さん、田島健一さんの句集も取り上げられたのだが(70年代生まれの四人)、そのどの句集にもやはり〈傷〉をめぐる句があったと思う。
かなり雑に言うけれど「一般」に、個人的に傷ついたひとは短歌に(恋愛/失恋が詠みやすい)、社会的に傷ついたひとは川柳に(階層構造的なトホホを詠む)、傷ついてもその傷を言語化したくないひとは俳句(写生=多方向的認識)に向かうのではないだろうか。
でも、現在、俳句はどうも〈傷〉というテーマを引き込んでいる気がする。
そう言えば、中村さんの句集タイトル『虎の夜食』って、とっても可傷的ではないか! わたしたちは時に人生を大きく間違えば「虎の夜食」になることだってあるのだ(もちろん、できることならなりたくはないが)。しかし中村さんの句集が面白いのは、虎が傷つき「バター」になった〈例のあの姿〉も描いていて、しかも、その〈傷ついた虎〉を育てようとしていることだ。
バターになつた虎を育てる冷蔵庫 中村安伸
傷というのはもしかしたら治すものではなく、育てるものなのかもしれない。
「おまえの親たちを殺して食べてしまったことについては、心からすまないと思っているんだよ。でも、わかってほしい。おれたち虎は悪ではないのだ。ただ、こうしなければならないのだ」
「わかったよ」とわたしはいった。「算数教えてくれてありがとう」
「なんの、なんの」
虎たちは行ってしまった。
(ブローティガン「算数」『西瓜糖の日々』河出文庫、2003年)
(「手錠」『虎の夜食』邑書林・2016年 所収)
2016年5月17日火曜日
フシギな短詩17[リチャード・ブローティガン]/柳本々々
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(十二個の)赤い実だ リチャード・ブローティガン
「イチゴの俳句」と題された一句。イチゴは、夏の季語だ。しかしブローティガンにとっては、かれの小説ではおばあさんや階段が小川のせせらぎに見えたりすることもあるように、あらわれてきたイチゴはイチゴそのものではなく、・(ナカグロ)という〈つぶつぶ〉だった。かれは俳句という形式によってなにも語ろうとはしなかったのだ。
ブローティガンにとって〈俳句〉とはなんだったのだろうと時々、かんがえている。
ぼくは十七歳になり、十八歳になり、十七世紀からの日本の俳句を読みはじめた。芭蕉と一茶を読んだ。感情と細部とイメージを一点にあつめるように言葉を使って、露のしずくのような堅固な形式にたどりつくかれらの方法が、ぼくは気に入った。
(ブローティガン「はじめに」『東京日記』)
ブローティガンにとって俳句は「露のしずく」だった。そう言われてみれば、掲句の「・」もしずくに見えなくもない。彼が発明した〈しずくの俳句〉である。
もし〈俳句〉がなにかを熱心に物語ろうとする行為を厭う表現形式であるならば、かれの『アメリカの鱒釣り』という小説はある意味で、とても〈俳句的〉というか〈俳文〉のようなものだったかもしれない。
なぜなら、かれはそこで、なにひとつ語ろうとはしなかったからだ。〈アメリカの鱒釣り〉に固執し、それだけをえんえんと周回し、断片を重ねる奇妙な小説。そこにはさまざまなかたちをとって〈アメリカの鱒釣り〉があらわれるけれど、決して〈アメリカの鱒釣り〉そのものは最後まであらわれない。メタモルフォーゼした〈アメリカの鱒釣り〉があらわれては消え、物語はどこにも収束=終息しない。
いや、ゆいいつ、最後に一点だけ、物語は収束する。「マヨネーズ」に。
語り手は、いう。私は以前からマヨネーズで終わらせる小説を書きたかった、と。ここには〈大いなる意識の逸脱〉がある。それまで積み上げた〈アメリカの鱒釣り〉を放棄し、「マヨネーズ」へと逸脱すること。
わたしはときどき俳句とは、この〈意識の逸脱〉を形式化したものではないかとおもうのだ。用意された季語のかたわらにふっと逸脱した〈なにか〉が配置される。しかしそれが定型によってマヨネーズのように奇妙な塩梅で配合され、組成されたもの。HAIKU。
掲句が載った『東京日記』はブローティガンが東京をうろうろしながら綴った詩であり日記である。それは東京に点在する〈しずく〉のようなもの。〈黄色いライオン〉と呼ばれた詩人は、東京のあちこちで、新宿で、明治神宮で、銀座で、東京駅で、〈詩のしずく〉を拾い集めた。ひとつひとつの〈・〉を。
いつの日か自分は日本に行かなくてはならないとさとった。ぼくの生命の一部はぼくより先に日本に行っていた。ぼくの本は日本語に訳されていて、それに対する反応はとても知的なものだった。そのことがぼくをはげまし、森の中をこっそりと動いてゆくオオカミのように、書くということの、ひとりぼっちの道すじをたどりつづける勇気をあたえてくれた。
(ブローティガン「はじめに」『東京日記』)
わたしもブローティガンがかき集め、残した言語化できない〈・〉のひとつぶひとつぶから今まで「勇気」をもらってきた。それはたぶん〈勇気のイチゴ〉だったんじゃないかなと今あらためて思うのだ。次のような。
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今回の記事は(あえて唐突に)この言葉で終わってみたい。わたしもこの言葉で終わる記事をいつか書きたいと思っていたから。
マヨネーズ。
(福間健二訳「イチゴの俳句」『東京日記』思潮社・1992年 所収)
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